歌川国勝
来歴
編集初代歌川豊国の門人。俗名不明、歌川の画姓を称し、一僊斎、一千斎、一仙斎と号す。文政11年(1828年)に初代豊国追善のため建てられた「豊国先生瘞筆之碑」に、門人の一人として名が刻まれている。作は肉筆画が3点知られる。生没年は不明だが、「吉原風俗」には「七十三叟」とあるので73歳まで生きていたことがうかがえる。
作品
編集- 「吉原風俗」 絹本着色 光記念館所蔵 ※「御好應 七十三叟 一僊斎國勝画」の落款、「弌千齊」の朱文円印あり。那須ロイヤル美術館(小針コレクション)旧蔵
- 「四十八癖図巻」 紙本着色、巻子本一巻 日本浮世絵博物館所蔵 ※「一仙齋國勝画」の落款、「哥川」と「國勝」の印あり。「無くて七癖、有って四十八癖」という言葉から導き出されたといわれる作で、老若男女48人を「物しりめかす癖」、「芸者めかす癖」、「通人めかす癖」などの「四十八癖」それぞれのポーズで描く。
- 「雪月花三美人図」 絹本着色、三幅対 ボストン美術館所蔵 ※「一千齋國勝画」の落款、「歌川」の白文方印と「弌千斎」の朱文円印あり(三幅いずれも同じ)[1][2][3]