歌川国久 (2代目)

江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師

二代目 歌川国久(にだいめ うたがわ くにひさ、天保3年〈1832年〉 - 明治24年〈1891年〉2月5日)とは、江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師

二代目 歌川国久
ヒト
性別男性 編集
国籍日本 編集
読み仮名うたがわ くにひさ 2だいめ 編集
生年月日1832 編集
死亡年月日5 2 18911881 編集
歌川豊宣歌川国峰 編集
職業画家浮世絵師 編集
師匠歌川国貞 編集
コレクション所蔵者国立世界文化博物館 編集
作者の著作権状態著作権保護期間満了 編集

来歴

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三代目歌川豊国の門人。本姓は勝田、名は久太郎。一陽龍水、一雲斎、立蝶楼と号す。柳島に住む。三代目豊国の三女お栄と結婚し豊国の養子となる[1]。作画期は嘉永から明治にかけてで横浜絵役者絵及び肉筆画を描いた。「東都三十六景」のシリーズでは師の豊国と合作をしている。享年60。墓所は江東区亀戸の光明寺、法名は久豊院還国寿僊信士。お栄との子で長男の金太郎は歌川豊宣、次男の銀次郎は歌川国峰と称し浮世絵師となっている。

作品

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脚注

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  1. ^ 一説には次女の勝と結婚したという(『浮世絵の見方事典』153頁)。

参考文献

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関連項目

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