櫛橋 伊光(くしはし これみつ)は、南北朝時代武将赤松氏の家臣。

 
櫛橋 伊光
時代 南北朝時代
死没 正平24年/応安2年10月10日1369年11月9日
戒名 明巌
主君 赤松則祐
氏族 櫛橋氏
父母 父:櫛橋伊朝
伊範
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人物

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櫛橋氏初代・櫛橋伊朝の子。櫛橋氏は足利氏赤松氏に従って北朝方に属しており、父もそのために戦死したとされている。櫛橋氏は時代は不明ながら播磨国印南郡志方を根拠地としたが、この頃は赤松氏傍流で南朝に属した赤松氏範の次男・赤松家則が一帯を支配していたらしく、自然櫛橋氏もその影響下にあったものと思われる。氏範は一時、北朝方の赤松宗家と和睦していたが、応安2年(1369年)氏範が再び南朝方について挙兵すると、赤松宗家・赤松則祐摂津国中島において氏範軍と衝突する。その際伊範も北朝方に加わるが、その戦いで戦死した。

参考文献

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  • 安田三郎「糟谷氏一族 -播磨櫛橋氏-」『県央史談』第37号
  • 山下道雄「播磨の豪族 櫛橋氏」『播磨と歴史』第23巻第3号
  • 湯山学『相模武士』第5巻 戎光祥出版