橘 仲遠(たちばな の なかとお)は、平安時代中期の貴族学者歌人下総守橘佐臣の子。官位従四位上播磨守

 
橘仲遠
時代 平安時代中期
生誕 不明
死没 不明
官位 従四位上播磨守
主君 村上天皇
氏族 橘氏
父母 父:橘佐臣
兄弟 仲遠仲任
道文、道紀、徳子
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経歴

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若くして大学寮に入る。後に蔵人となり藤原忠平侍読を務めた[1]

村上朝初頭の天暦元年(947年)に豊前守に任ぜられて現地に赴任。康保2年(965年)ごろ摂津守と受領を歴任した。この間の康保元年(964年)及び康保2年(965年)には『日本書紀』を講じている。その後、播磨守も務め、位階従四位上に至ったという[2]

また、『新勅撰和歌集』以下の勅撰和歌集に2首が入る勅撰歌人でもあった[3]

官歴

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系譜

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注記のないものは『尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ 二中歴』(二・儒職歴)
  2. ^ 『勅撰作者部類』では五位とする。
  3. ^ a b 『勅撰作者部類』
  4. ^ 『日本紀略』
  5. ^ 『釈日本紀』
  6. ^ 『尊卑分脈』
  7. ^ 宝賀[1986: 84]

参考文献

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