横浜媽祖廟
来歴
編集2006年(平成18年)3月17日に、横浜媽祖廟は開港から150周年を迎える横浜の新名所として横浜中華街に落慶開廟した[1][2][3]。明治時代の清国領事館の跡地である山下町公園に隣接している[4]。台湾最初の官建の台南市大天后宮(中国語:大天后宮)より分霊された。[5]。
媽祖信仰について
編集「媽祖」は、北宋時代に実在した福建省・林氏の娘であり、生まれて1か月も泣き声をあげなかったため、『林黙娘』と名付けられたが、小さいころから才知に長け、10歳のころには朝晩の念仏を唱えるようになるなどした[4][6]。
28歳のときの9月9日、修行を終えて天に召され神になり、海上を舞い難民を救助する姿が見られたとされ、人々は媽祖祖廟を始めとする様々な媽祖廟を建て護国救民の神として祀るようになり、その神通力は国中に知られることとなって歴代の皇帝も諡号で敬意を表するようになった[4]。
その後、航海を守る海の神のみならず、自然災害や疫病・戦争・盗賊などから護る神として中国のほか華僑が住む世界各地で信仰されている[4][6]。
廟内
編集廟内には、媽祖像と2つの鬼神像がある[4]。「順風耳」と「千里眼」である[4]。「順風耳」は大きな耳をもち、あらゆる悪巧みを聞き分けて媽祖に知らせる役目をもつとされる[4]。「千里眼」は3つの目をもち、行く先や周囲を監視し、あらゆる災害から媽祖を守る役目をもつとされる[4]。また、神殿の前には、1番から5番までの5つの香炉がある[6]。参拝者が5本1組の線香を買い求め、これらの香炉に供えることができる[6]。1番の香炉は「玉皇上帝」へ、2番の香炉は「天上聖母」へ、3番の香炉は「註生娘娘」「臨水夫人」へ、4番の香炉は「月下老人」「文昌帝君」、5番の香炉は「福徳正神」へ順々に線香を供えることになっている[6]。
年中行事
編集※以下、すべて旧暦。
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アクセス
編集脚注
編集- ^ “中華街に海の女神まつる「媽祖廟」開廟 -総工費18億円”. ヨコハマ経済新聞 (2006年6月19日). 2013年3月21日閲覧。
- ^ “横濱媽祖廟のあゆみ”. 横濱媽祖廟事務局 (2012年). 2013年3月21日閲覧。
- ^ “横浜媽祖廟建立の背景から見た中華街における役割”. 名古屋大学. 2013年3月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 横濱媽祖廟事務局発行「横濱媽祖廟〔建立〕」
- ^ “台南市大天后宮 日本に分霊 - 南市大天后宮媽祖 分靈日本開光” (中国語). 人間福報 (2006年4月26日). 2021年5月26日閲覧。
- ^ a b c d e 昭文社出版編集部「ことりっぷ横浜・中華街」昭文社(2012年)106ページ
- ^ a b “横浜媽祖廟 交通案内”. 媽祖廟. 2013年3月21日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集座標: 北緯35度26分31.5秒 東経139度38分51.3秒 / 北緯35.442083度 東経139.647583度