興平市
(槐里県から転送)
興平市(こうへい-し)は中華人民共和国陝西省咸陽市に位置する県級市。
中華人民共和国 陝西省 興平市 | |
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前漢五陵・茂陵 | |
咸陽市中の興平市の位置 | |
簡体字 | 兴平 |
繁体字 | 興平 |
拼音 | Xīngpíng |
カタカナ転写 | シンピン |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 陝西 |
地級市 | 咸陽市 |
行政級別 | 県級市 |
面積 | |
総面積 | 496 km² |
人口 | |
総人口(2004) | 56 万人 |
経済 | |
電話番号 | 029 |
郵便番号 | 713100 |
行政区画代碼 | 610481 |
公式ウェブサイト: http://www.snxingping.gov.cn/ |
地理
編集興平市は関中平原の中部に位置し、西安市街区から40キロメートル、咸陽市街区から20キロメートルの距離にある。南に渭水をはさんで西安市鄠邑区・周至県があり、東に咸陽市秦都区と接している。
歴史
編集興平の歴史は古く周代には国都が設置された記録がのこっている。前908年、鎬京から犬丘(市内南佐村)に遷都されている。また秦末には項羽が関中を三分した際、章邯を雍王として廃丘(市内南佐村)に封じられている。
前204年、漢朝はこの地に槐里県を設置された。前73年(本始元年)、漢朝は茂陵県を設置された。220年(黄初元年)、三国時代の魏は始平県を設置、茂陵県が始平県に編入された。557年(明帝元年)、北周は槐里県が始平県に編入された。
708年(景龍2年)、唐朝は始平県を金城県と、757年(至徳2載)には興平県と改称された。
興平市域に含まれている馬嵬 (zh:马嵬街道) は、安史の乱の際に際して、756年に楊貴妃やその親族の楊国忠らが殺害された事件(馬嵬駅の悲劇)が発生した場所であり、楊貴妃の墓がある。
1994年1月に県級市に昇格した。
行政区画
編集- 街道:東城街道、西城街道、店張街道、西呉街道、馬嵬街道
- 鎮:趙村鎮、桑鎮、南市鎮、荘頭鎮、南位鎮、阜寨鎮、豊儀鎮、湯坊鎮