榊原政礼

日本の江戸時代後期~明治時代初期の武士。越後高田藩3代藩主榊原政令三男で、常陸谷田部藩7代藩主細川興徳養子。谷田部藩世嗣であったが、廃嫡されている

榊原 政礼(さかきばら まさのり)は、江戸時代後期の常陸国谷田部藩の世嗣。

 
榊原政礼
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文化3年2月11日1806年3月30日
死没 明治元年9月14日1868年10月29日
改名 榊原政賢(初名)、細川興民、榊原政礼
別名 伊織(通称
戒名 高勝院
墓所 上越市林泉寺
常陸谷田部藩世嗣
氏族 榊原氏谷田部細川家、榊原氏
父母 榊原政令保科正率娘・豊姫
細川興祥
兄弟 政養政礼政忠政愛岡田善宝
稲葉正誼榊原職常室、節子ら
政敬、晴
テンプレートを表示

生涯

編集

越後国高田藩主・榊原政令の三男として誕生した。母は継室の保科正率娘・豊姫。

文政10年(1827年)7月、常陸国谷田部藩嫡子・細川興祥の養子となり、細川 興民(ほそかわ おきたみ)と名乗る。文政11年(1828年)、興祥の死により谷田部藩嫡子となるが、天保2年(1831年)4月13日、廃嫡され、実家の榊原家に戻った。

のち、長男の榊原政敬越後国高田藩榊原家の家督を継いだ。娘の晴は榊原政愛の養女となり、井伊直安の正室となった。

なお、細川家は興祥の養父・細川興徳筑後久留米藩有馬家より興建を婿養子に迎えた。