楽山大仏(らくさんだいぶつ)は、中国四川省楽山市にある、弥勒菩薩を象(かたど)って彫られた巨大な磨崖仏石仏)であり、石窟寺院の一種である。「峨眉山と楽山大仏」として、近隣にある峨眉山とともにユネスコ世界遺産に登録されている。1982年に「峨眉山風景名勝区」の一部として中華人民共和国国家級風景名勝区に認定され、2011年に中国の5A級観光地にも認定された。

楽山大仏
楽山大仏
各種表記
繁体字 樂山大佛
簡体字 乐山大佛
拼音 Lèshān Dàfó
注音符号 ㄌㄜˋㄕㄢㄉㄚˋㄈㄛˊ
発音: ローシャンターフオ
日本語読み: らくさんだいぶつ
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概要

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楽山大仏は峨眉山地域内の長江の支流、岷江(びんこう)、大渡河青衣江が合流する地点にある。

近代以前に造られたものでは世界最大・最長の仏像であり、石像である[1]。顔は100畳分、岩山を掘り、90年かけて造られた。高さは71メートル。東大寺の大仏の5倍にも及ぶ。当時、多くの大仏が国家によって造られたのに対して、楽山大仏は民衆の力で作られた。

歴史

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右足方から見上げる楽山大仏
 
大仏の左肩側から見下ろす景観

建造と火難

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楽山大仏は、後述の韋皋(い こう)が編ませた『嘉州凌雲寺大像記』の伝えるところによれば、着工は開元元年(713年)とされる。楽山周辺は内陸部ながら、塩分を大量に含んだ地下水を煮たてる方式での製塩が行われ、当時の年間の塩の生産高は現在の価格に換算すると1千億円以上に上っていた。生産された塩は岷江の水運で運び出されていたが、岷江は頻繁に水害を起こす川でもあった。塩の恵みを仏さまに感謝し、暴れ川を仏さまに治めてもらいたい、との願いから、僧の海通が民衆の布施の下に寺院・凌雲寺に隣接する崖に石像を彫り始めた。

天宝2年(743年)、海通は大仏が完成する前に亡くなったが、剣南西川節度使であった韋皋が建設を受け継ぎ、貞元19年(803年)に完成させたという。871年完成との説もある。

工事で出た大量の土砂を川の合流地点に投入することにより、川底が浅くなり、海通の意図通りに水害は大幅に減ることとなった。

完成当時、大仏は「大仏像閣」と称する13層の木造の建造物に覆われ、法衣には金箔、胴には朱色が塗られていた。 さらに、湧水を外に逃がすための排水溝、そして雨水を効率よく逃す溝が掘られていた。 しかし、代末期に建物は焼失、大仏も風雨に晒されて色が落ち、雑草に覆われていった。

修復と保護の問題

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修復は1962年になってようやく行われた。 その際、像の胸の部分から明代に開けられたと見られる穴が発見され、経典などを入れるためのものであったとの推測がなされている。

最近では酸性雨によると思われる染みが見られる。

世界遺産

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楽山大仏は1996年、比較的近隣にある仏教の一大聖地・峨眉山とともに、複合遺産「峨眉山と楽山大仏」の名でユネスコ世界遺産に登録された。

2018年の修復

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2018年10月8日、大仏の胴体の破損を修復する工事が行われ、2019年3月末に完成した。その後、修復した後の写真として、顔の部分を画像処理ソフトで実物より白く加工したものがインターネットを介して出回ったため、修復に批判的な意見が見られるようになった[2]

2020年の出水

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2020年7月から8月にかけて長雨が続き、大仏に面する川が増水。2020年8月19日までに大仏の足元まで水が達する状況になった[3]

施設の詳細

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施設の大きさは全高(縦全長)約71m、像高(像本体の高さ)約59.98m(長さの比較資料1 E1 m)。 近代以前に造られたものでは世界最大・最長の仏像であり、石像である。 また、像高で第2位にあったバーミヤンの大仏(2体のうちの大きい方)が破壊された現在では、これに迫る古仏は存在しない。

  • 施設全高 約71m。
  • 像高(像本体の長さ) 59.98m。 像幅(像本体の幅) 28.5m。
  • 頭高(頭部の長さ) 14.7m、鼻の長さ 5.6m、口の長さ 3.3m、耳の長さ 7.0m(耳の穴には2人入れるという)、首の長さ 3.0m。
  • 肩幅 28.0m、中指の長さ 8.3m、脚の長さ 10.5m、足の甲の長さ 8.5m。

アクセス

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脚注

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  1. ^ 近代の大型の仏像については像高のランキングを参照のこと。
  2. ^ 世界遺産の「楽山大仏」 修復で美白のイケメンに?”. CNS (2019年7月8日). 2020年8月19日閲覧。
  3. ^ 中国南西部の洪水、「楽山大仏」の足にも届く 10万人以上避難”. AFP (2020年8月19日). 2020年8月19日閲覧。

関連項目

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