楢 (松型駆逐艦)

松型駆逐艦
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(なら)は、日本海軍駆逐艦松型駆逐艦の12番艦として藤永田造船所で建造された。艦名は楢型駆逐艦1番艦「」に続いて2代目。

門司港に係留された「楢」(1947年)
門司港に係留された「楢」(1947年)
基本情報
建造所 藤永田造船所
運用者  大日本帝国海軍
級名 松型駆逐艦
艦歴
発注 1944年(昭和19年)度計画
起工 1944年6月10日
進水 1944年10月12日
竣工 1944年11月26日
除籍 1945年10月30日
その後 1948年、解体。
要目
基準排水量 1,262 トン
公試排水量 1,530 トン
全長 100.00 m
最大幅 9.35 m
吃水 3.30 m
ボイラー ロ号艦本式缶×2基
主機 艦本式タービン×2基
出力 19,000 馬力
推進器 スクリュープロペラ×2軸
速力 27.8 ノット
燃料 重油:370t
航続距離 3,500海里/18ノット
乗員 211名 / 267名[1] / 296名[2]
兵装
レーダー 二号二型(対水上用)
一号三型(対空用)
ソナー
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艦歴

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「楢」は就役後、訓練部隊の第十一水雷戦隊高間完少将)に編入される。瀬戸内海に回航され訓練に従事するも、復水器の不具合に見舞われた[3]

1945年(昭和20年)3月1日付でとともに第一海上護衛隊の指揮下に入り[4]、3月4日に門司を出港予定のヒ99船団の護衛に就く予定だったが[5]、戦況の悪化により南方行き船団の運行は取り止められた。3月15日付で「」「椿」「」「」「」とともに第五十三駆逐隊を編成する[6]。3月17日からは「欅」とともに佐世保鎮守府部隊の指揮下に入り[7]、4月9日に瀬戸内海に帰投した[8]。5月25日付で呉鎮守府部隊に編入され[9]、以後も瀬戸内海で行動する。6月30日、関門海峡西口で触雷して艦尾屈曲、艦後部浸水、二番砲使用不能などの損傷を受けて航行不能となった[10]門司港に繋留されたまま7月15日付で特殊警備艦となり[11]、終戦を迎えた。11月30日除籍。

船体はそのまま放置され、1948年(昭和23年)5月に解体開始、7月1日解体が完了した。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』366-367頁による。

艤装員長

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  1. 本多敏治 少佐 1944年11月12日[注 1] -

駆逐艦長

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  1. 本多敏治 少佐 1944年11月26日 -

脚注

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注釈

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  1. ^ 『艦長たちの軍艦史』366頁では「十二月十二日より艤装員長」とあるが、「11月」が正しいと思われる。

出典

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参考文献

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  • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(5)』。Ref.C08030127800。 
  • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(6)』。Ref.C08030127900。 
  • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(7)』。Ref.C08030128000。 
  • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(8)』。Ref.C08030128100。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』、光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』、光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 歴史群像編集部『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.43 松型駆逐艦』、学習研究社、2003年。 ISBN 4-05-603251-3

関連項目

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