楠根宗生
来歴
編集1901年10月25日に大分県中津市で生まれる[2]。1931年に京都帝国大学経済学部を卒業し、翌年に西日本鉄道の前身である九州電気軌道に入社した[1]。
庶務課長、総務部長、取締役を経て1963年から社長に就任し、西鉄ライオンズのオーナーにも就任した[3]。しかし、社長在任時に黒い霧事件が発生し、チームの八百長事件の責任を取る形で1970年に社長と球団オーナーを辞任した[3]。社長は吉本弘次が、球団オーナーは木本元敬が継いだ[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 『現代物故者事典 1988-1990』日外アソシエーツ、1993年
- 西日本鉄道株式会社100年史編纂委員会(編)『西日本鉄道百年史』西日本鉄道、2008年
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