楊梅兼高
楊梅 兼高(やまもも かねたか)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。民部卿・楊梅兼行の子。官位は従二位・右衛門督。父と共に持明院統の近臣一辺倒であったため、後醍醐天皇在位時にはめぼしい官職に就くことができなかった。
時代 | 鎌倉時代後期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 弘安10年(1287年) |
死没 | 延元3年/暦応元年12月28日(1339年2月7日) |
官位 | 従二位・右衛門督 |
主君 | 後深草上皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇→後醍醐天皇→光厳天皇→光明天皇 |
氏族 | 藤原北家道綱流楊梅家 |
父母 | 父:楊梅兼行、母:藤原頼清[1]娘 |
兄弟 | 俊兼、兼高、盛親、資親室、公春室 |
子 | 能行、兼親、兼能、兼藤 |
経歴
編集以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 正応6年(1293年)1月5日、叙爵。
- 永仁3年(1295年)4月8日、従五位上に昇叙。
- 永仁5年(1297年)5月20日、正五位下に昇叙。12月17日、侍従に任ぜられる。
- 正安2年(1300年)5月29日、従四位下に昇叙。閏12月22日、左少将に任ぜられる。
- 嘉元3年(1305年)1月5日、従四位上に昇叙。
- 延慶元年(1308年)10月12日、左中将に転任。
- 延慶2年(1309年)1月6日、正四位下に昇叙。
- 延慶3年(1310年)12月28日、右中将に移る。
- 正和2年(1313年)9月6日、右兵衛督に任ぜられる。
- 正和4年(1315年)1月5日、従三位に叙される。同月13日、右兵衛督は元の如し。6月27日、右兵衛督を止める。7月21日、兵部卿に任ぜられる。
- 文保元年(1317年)2月5日、右衛門督に移る。4月16日、右衛門督を止める。
- 元亨2年(1322年)正三位に昇叙。
- 正慶元年/元弘2年(1332年)1月5日、従二位に昇叙。
- 正慶2年/元弘3年(1333年)5月17日、正三位に戻される。
- 建武4年/延元2年(1337年)3月29日、従二位に昇叙。
- 暦応元年/延元3年(1338年)12月28日、薨去。享年52。
系譜
編集- 父:楊梅兼行(1254-?)
- 母:従三位藤原頼清娘
- 妻:不詳
- 男子:楊梅能行
- 男子:楊梅兼親
- 男子:楊梅兼能
- 男子:楊梅兼藤
脚注
編集- ^ 従三位