植田清一郎
植田 清一郎(うえだ せいいちろう、1848年(嘉永元年3月[1][2][3])- 1897年(明治30年)3月29日[1][2][3][4])は、明治期の老農(篤農家)、政治家。衆議院議員。
経歴
編集大和国宇陀郡山粕村(奈良県〔第一次〕宇陀郡山粕村、堺県宇陀郡山粕村、大阪府宇陀郡山粕村、奈良県[1]宇陀郡山粕村、室生村[2][3]山粕[4]を経て現曽爾村山粕)で生まれる。農業を営む[1][2]。
宇陀郡の産業的孤立を解消するため、吉川徳三郎、大門又三郎、植田源十郎らと協力して私財を提供し、宇陀郡山粕から萩原(現宇陀市榛原萩原)までの約17キロメートルの道路を1880年(明治13年)から3年間をかけて開設した[1][3][4]。また養蚕の振興に尽力し、先進地を視察して模範桑園を設けて農家に奨励した[1][4][2][3]。
1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(奈良県第2区、独立倶楽部)で当選[3][4][5]。1894年(明治27年)3月の第3回総選挙(奈良県第2区、政務調査所)では次点で落選し[5]、衆議院議員に1期在任した[1][2]。
脚注
編集参考文献
編集- 『大和人物志』奈良県、1909年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。