森脇良太

日本のサッカー選手

森脇 良太(もりわき りょうた、1986年4月6日 - )は、広島県福山市出身のプロサッカー選手Jリーグ愛媛FC所属。ポジションはディフェンダーミッドフィールダー。元日本代表

森脇 良太
名前
愛称 モリ
カタカナ モリワキ リョウタ
ラテン文字 MORIWAKI Ryota
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-04-06) 1986年4月6日(38歳)
出身地 広島県福山市
身長 178cm
体重 78kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 愛媛FC
ポジション DF / MF
背番号 3
利き足 右足
ユース
1994-1998 日本の旗 幕山サッカー教室
1999-2001 日本の旗 サンフレッチェびんごJrユース
2002-2004 日本の旗 サンフレッチェ広島ユース
吉田高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2012 日本の旗 サンフレッチェ広島 141 (13)
2006-2007 日本の旗 愛媛FCloan 79 (4)
2013-2019 日本の旗 浦和レッズ 182 (11)
2020-2021 日本の旗 京都サンガF.C. 23 (0)
2022-2024 日本の旗 愛媛FC 36 (0)
代表歴2
2011-2013 日本の旗 日本 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年9月2日現在。
2. 2013年7月25日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

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プロ入り前

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小さい頃は野球少年で憧れの選手は広島東洋カープ山内泰幸だった。小学2年時に友人に誘われ、サッカーを始めた。1999年に地元福山市の隣町である尾道市のサンフレッチェびんごジュニアユースへ入団した。一期上に平石健太がいる。ジュニアユースではFWのポジションを担当しており、島卓視らから指導を受けた[1]

2002年にサンフレッチェ広島ユースへ昇格した。同期には前田俊介佐藤昭大髙萩洋次郎髙柳一誠桒田慎一朗藤井大輔大屋翼冨成慎司らがいる。ユースではサイドバックにコンバートされ森山佳郎沢田謙太郎らから指導をうけた。ユース監督の森山佳郎はコンバートの理由について「ユースレベルならFWでも十分なレベルだが、プロではDFのほうが見込みがある」と語っている。高校2年時の2003年に右サイドバックとしてレギュラーに定着し、広島ユースはこの年に全国大会で活躍しユース2冠を達成した。翌2004年も引き続きレギュラーとしてチームに貢献し、ユース3大大会のうち全てで決勝に進出、うち2大会で優勝した[1][2]。同年にはトップチームに2種登録され、怪我で離脱していた駒野友一の代わりにナビスコカップ・セレッソ大阪戦で右ウイングバックとして先発フル出場した[3]

サンフレッチェ広島

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2005年にトップに昇格し正式にプロ契約を結んだ。同期に前田、佐藤、髙柳、桒田、入船和真中尾真那西河翔吾がいる。びんごジュニアユース出身としては初のトップ昇格選手となった。昇格後しばらくはレギュラーである駒野の前に出場機会に恵まれなかった[4]

2006年に出場機会を求めて望月一仁が監督を務める愛媛FCへレンタル移籍され、第1節からレギュラーとして起用された。翌2007年も引き続き愛媛に在籍し同チームの天皇杯ベスト8に貢献した[4]

2008年、広島に復帰。駒野が磐田へ移籍したこともあり当初は右アウトサイドの起用を検討されていたが[5]ミハイロ・ペトロヴィッチは右センターバックに抜擢し[6]盛田剛平の怪我によりレギュラーに定着し、以降主力として活躍[4]。2010年はミハエル・ミキッチ山岸智服部公太らに負傷が相次いだため、センターバックだけではなくサイドのポジションでもプレーした[7]

2010年にはAFCアジアカップ2011に出場する日本代表の予備登録メンバーに選ばれ、大会直前に酒井高徳の腰痛による負傷離脱に伴い代替としてメンバー入りした[8]。同大会で選手登録されたフィールドプレイヤーとしては唯一試合に出場できなかったものの、バックアッパーやムードメーカーとして優勝に貢献した[9][10]。2011年3月29日に開催された東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチでは日本代表チームの一員としてプレーしたが[11]、試合数日前に行われた募金の呼びかけ兼握手会では、募金をした女性と握手をしようとするもスルーされ岡崎慎司長谷部誠に慰められた[12]。6月1日のキリンカップペルー戦で、日本代表初出場を果たした。2012年にはリーグ戦33試合に出場し、広島のJ1初優勝に貢献した。

浦和レッズ

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2012年12月17日、広島時代の恩師となるペトロヴィッチが監督を務める浦和レッズへの完全移籍が発表された[13]。背番号は自身の誕生日である「46」。

2013年7月、EAFF東アジアカップ2013の日本代表に選出された。

2014年3月15日のJ1第3節・サンフレッチェ広島戦で交代でピッチから退場した後アディショナルタイムに原口元気の追加点が決まると、ゴールを決めた原口元気、槙野智章とゴールパフォーマンスに参加。ところがベンチに戻ろうとした際ピッチに入ってしまい、これがサッカー競技規則第12条「ファウルと不正行為」に抵触し、すでにイエローカードを受けていたためレッドカードで退場となり、ベンチへ退いた交代選手が退場になる珍事が起きた。しかしルールを把握しておらず、この判定に激高し主審に詰め寄ろうとしてしまうが、いち早く気付いたピッチサイドリポーターを務めていた朝井夏海がなだめロッカールームに戻った。興奮が収まらなかったが、チームスタッフがルールを教え、ここでようやく自分の犯したミスに気がついた。この退場はすでに交代していた興梠慎三柏木陽介以外のスタメン出場選手は気がついておらず、試合終了後選手整列で一部始終を目撃していた濱田水輝によって知らされた。9月7日に行われたナビスコカップ準々決勝・第2戦では、2-2で迎えた後半アディショナルタイムに、コーナーフラッグ付近でボールをキープするサンフレッチェ広島の髙萩洋次郎に対してチャージを仕掛けた際、同選手を倒してしまいファウルの判定となった。これに熱くなった森脇が副審に詰め寄り「誘ってんじゃん!分かる!?分かる!?」と抗議した。この「誘ってんじゃん」はその後、森脇の代名詞となる[14]

2016年から槙野智章のリベロ転向、遠藤航の加入もあり左センターバックでスタメン出場したが3月6日のJ1第2節・ジュビロ磐田自身のミスから失点に絡んでしまい、続く3月12日の第3節・アビスパ福岡戦も同ポジションで出場したが不安定さと攻撃にリズムが出ず後半から本来の右センターバックに戻った。

2017年5月4日に行われた第10節・鹿島アントラーズ戦で、試合終盤の78分に選手同士の小競り合いが発生した際に、森脇が鹿島のレオ・シルバに対して侮辱的発言を行った疑いがあるとして、7日にJリーグによる事情聴取が行われた結果、2試合の出場停止処分となった[15]。処分の明けた5月31日のACL決勝トーナメント1回戦2ndレグ・済州ユナイテッドFC戦では、1回戦突破を決める大事な逆転ゴールを挙げ、試合後のヒーローインタビューで「幼稚な発言でたくさんの迷惑をかけた」と述べ「それでもファンの皆さんは練習場に来て、どんなことがあってもお前を支える、ついていくと言ってくれた。何としても、ここで終わるわけにはいかないと、そういう思いで戦った。勝つことだけが僕らに求められた使命だった」と話した[16]

京都サンガF.C.

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2019年12月19日、京都サンガF.C.へ完全移籍により加入すると発表された[17]。2021年12月、契約満了により京都を退団[18]

愛媛FC

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2022年1月20日、古巣である愛媛FCへ15年ぶりに復帰することが発表された[19]

2023年は出場機会は多くなかったが、中心選手の一人としてチームを鼓舞し愛媛FCJ3リーグ優勝・J2リーグ昇格に貢献。岡本知剛小池龍太に次ぐ史上3人目(各カテゴリーでフルシーズン在籍した選手としては初)の「Jリーグ全カテゴリーでのタイトル獲得」を成し遂げた[20][21][22]。また、Jリーグ全カテゴリーのタイトル獲得者の中で唯一、Jリーグカップ天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会AFCチャンピオンズリーグのすべてで優勝経験を持つ[22]

2024年9月2日、2024年シーズン限りでの現役引退を発表[23]

プレースタイル

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強引な突破とシュートが特徴の右アウトサイド。本職はサイドバックだが、ミハイロ・ペトロヴィッチは攻撃参加や楔のパスを評価し[24]、広島ではセンターバックとしてプレーすることが多かった[25][26]

人物

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広島時代のインタビューで好きな言葉が「笑顔」と「太陽」だと語り、自分が太陽のような存在になり、常にみんなを明るく照らして笑顔にさせることが理想だと答えている[26]。また「太陽の男」とも呼ばれた[27]。明るいキャラクターでチームを盛り上げるムードメーカーでもあり[27][22]、2007年に期限付き移籍先の愛媛FCがAFCチャンピオンズリーグ2007優勝後の浦和を2-0で下した際[28]、試合にフル出場した森脇は「おいおい、オレら、これでアジアチャンピオンだぞ!」とはしゃいでロッカールームを盛り上げた[27]

2009年の広島ホーム開幕戦では、当時9歳の川村拓夢と手をつないで試合前のピッチに足を踏み入れた[29]

節目でゴールを奪う傾向があり、特に最初に愛媛に所属した2006年には四国ダービーでホーム・アウェー共に得点をあげたことから「ダービー男」と呼ばれた[4]

また、前田遼一と同様に、シーズン初ゴールを決めた対戦チームはJ2に降格するというジンクスがある。2013年の第5節、浦和は前田が在籍していたジュビロ磐田と対戦した際、26分に磐田に前田のシーズン初ゴールで先制を許したが、77分に浦和の森脇が同じくシーズン初ゴールで追いつき、後半アディショナルタイムに浦和の原口元気がゴールを決めて勝利した[30]。このシーズン、浦和はJ1に残留したが、磐田はJ2に降格した[31]。翌2014年大宮アルディージャ2015年松本山雅FCが初ゴールの相手だったが、両チームともJ2に降格した。ただし、2016年に初ゴールを決めたヴァンフォーレ甲府はJ1に残留した[31]

俳優毎熊克哉福山市の小学校、中学校の同級生で、小学生の時は同じサッカー少年団に所属していた[32]

横浜FCと対戦した際に、三浦知良がレフェリーに抗議してレフェリーが謝罪しているのを見て、自分も真似しようとレフェリーに抗議したらイエローカードが出たことがある[33]

浦和時代に優勝セレモニーで森脇がトロフィーアップした際に他の選手が共に喜ぶこと無く真顔でノーリアクションとなるのがお約束となっており「森脇芸」として浦和の育成年代やレッズレディース[34][35]、さらにはサッカー日本代表などにも広まっている[36]。森脇自身も2023年の愛媛での優勝セレモニーで「森脇芸」を披露した。

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 広島Y 14 - - - 1 0 1 0
2004 広島 35 J1 0 0 1 0 0 0 1 0
2005 29 0 0 1 0 0 0 1 0
2006 愛媛 15 J2 42 3 - 1 0 43 3
2007 37 1 - 3 0 40 1
2008 広島 24 21 5 - 3 1 24 6
2009 J1 29 2 4 0 1 0 34 2
2010 31 0 5 0 2 1 38 1
2011 27 2 1 0 0 0 28 2
2012 33 4 4 0 1 0 38 4
2013 浦和 46 33 3 5 0 0 0 38 3
2014 33 3 5 1 1 1 39 5
2015 30 2 2 0 3 0 35 2
2016 33 1 4 0 1 0 38 1
2017 26 0 1 0 1 0 28 0
2018 11 0 2 0 3 0 16 0
2019 16 2 0 0 3 0 19 2
2020 京都 J2 17 0 - - 17 0
2021 6 0 - 1 0 7 0
2022 愛媛 J3 8 0 - - 8 0
2023 3 26 0 - - 26 0
2024 J2
通算 日本 J1 302 19 35 1 16 2 353 22
日本 J2 123 9 8 1 131 10
日本 J3 34 0 - - - 34 0
日本 - - 1 0 1 0
総通算 459 28 35 1 25 3 519 32
  • 2004年は広島ユース所属。

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2010 広島 24 5 0 -
2012 - 2 0
2013 浦和 46 5 0 -
2015 4 1 -
2016 7 0 -
2017 8 1 1 0
2019 5 0 -
通算 AFC 34 2 3 0

その他の国際公式戦

出場歴

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タイトル

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クラブ

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サンフレッチェ広島ユース
サンフレッチェ広島
浦和レッズ
愛媛FC

代表

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日本代表

代表歴

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出場大会

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試合数

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  • 国際Aマッチ 3試合 0得点 (2011年 - 2013年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2011 1 0
2012 1 0
2013 1 0
通算 3 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 大会
1. 2011年6月1日   日本, 新潟 東北電力ビッグスワンスタジアム   ペルー △0-0 キリンカップサッカー2011
2. 2012年2月24日   日本, 大阪 大阪長居スタジアム   アイスランド ○3-1 キリンチャレンジカップ2012
3. 2013年7月25日   韓国, 華城 華城競技場   オーストラリア ○3-2 EAFF東アジアカップ2013

出演

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  • 愛媛FC 森脇良太の『誘ってんじゃんRADIO』(FM愛媛 2021年年4月1日- )[37]

出典

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  1. ^ a b サンフレッチェアシストマガジンAssist3009年夏号
  2. ^ 飛翔へ サンフレの新人たち”. 中国新聞 (2005年1月21日). 2010年1月25日閲覧。
  3. ^ ユース森脇 攻守に活躍 初先発、フル出場”. 中国新聞 (2004年6月5日). 2010年1月25日閲覧。
  4. ^ a b c d 紫熊倶楽部2008年7月号
  5. ^ 森脇、早くも存在感 3年ぶり復帰「J2経験生かす」”. 中国新聞 (2008年1月30日). 2010年1月25日閲覧。
  6. ^ サンフレ戦力分析<下>守備 攻守のバランス意識”. 中国新聞 (2008年3月7日). 2010年1月25日閲覧。
  7. ^ 森脇、3000万円で合意 中心選手として期待”. 中国新聞 (2011年1月6日). 2011年2月11日閲覧。
  8. ^ 森脇を代替招集 初代表「びっくり」”. 中国新聞 (2011年1月9日). 2011年1月9日閲覧。
  9. ^ 森脇、出番なしでも貢献=アジア杯サッカー”. 時事通信 (2011年1月30日). 2011年1月30日閲覧。
  10. ^ ザッケローニ監督帰国会見要旨 (1/2)AFCアジアカップ2011”. スポーツナビ (2011年1月31日). 2011年2月1日閲覧。
  11. ^ 【チャリティーマッチ 日本代表 vs J選抜】試合終了後の日本代表コメント”. J's GOAL (2011年3月29日). 2011年3月30日閲覧。
  12. ^ 胃腸炎の岡崎は出場に意欲、デイリースポーツ、2011年3月27日
  13. ^ 森脇良太選手 完全移籍加入のお知らせ”. 浦和レッズ公式サイト (2012年12月17日). 2012年12月17日閲覧。
  14. ^ STADIUM, LEGENDS. “「おもろい」「Jリーグ史に残る名言」槙野智章が森脇良太の6年前のエキサイトシーンをユニーク解説! 本人も反応し…”. archive.legendsstadium.com. 2023年7月13日閲覧。
  15. ^ 「臭い」発言の浦和レッズDF森脇良太に2試合の出場停止処分…鹿島戦で騒動 goal.com、2017年5月9日
  16. ^ 森脇良太、劇的決勝弾に号泣。「幼稚な発言で迷惑かけた」とファンの支えに感謝 フットボールチャンネル、2017年5月31日
  17. ^ 森脇良太選手 加入のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2019年12月19日http://www.sanga-fc.jp/news/p/14784/2019年12月19日閲覧 
  18. ^ 森脇良太選手 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2021年12月4日http://www.sanga-fc.jp/news/p/16447/2021年12月5日閲覧 
  19. ^ 京都サンガF.C. 森脇 良太 選手 完全移籍にて加入のお知らせ』(プレスリリース)愛媛FC、2022年1月20日http://ehimefc.com/topics/topic20492.html2022年1月20日閲覧 
  20. ^ 【データが語る】J3V王手の愛媛「史上最高タイトルコレクター」森脇良太全カテゴリー制覇へ”. 日刊スポーツ (2023年11月10日). 2023年11月19日閲覧。
  21. ^ 史上3人目のJ1、J2、J3のタイトル獲得 森脇良太が語る、愛媛がJ2復帰を勝ち獲れた訳【インタビュー】”. FOOTBALL ZONE (2023年11月19日). 2023年11月19日閲覧。
  22. ^ a b c 愛媛FC 森脇良太選手 プロ20年目への思い”. NHK (2024年2月20日). 2024年7月1日閲覧。
  23. ^ 森脇 良太 選手 現役引退のお知らせ”. 愛媛FC公式サイト (2024年9月2日). 2024年9月2日閲覧。
  24. ^ サンフレ戦力分析<中> 攻撃”. 中国新聞 (2009年3月2日). 2009年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月29日閲覧。
  25. ^ 森脇良太さん(サンフレッチェ広島)”. 法務省人権啓蒙活動. 2021年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月25日閲覧。
  26. ^ a b 負けない気持ち DF24 森脇良太”. サンフレッチェ広島公式 (2009年1月25日). 2020年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月25日閲覧。
  27. ^ a b c 森脇良太(浦和レッドダイヤモンズ/元愛媛FC)第1回「赤く燃える太陽の男」”. 株式会社スポーツコミュニケーションズ (2013年2月14日). 2024年7月1日閲覧。
  28. ^ 第87回天皇杯全日本サッカー選手権大会 4回戦 2007年11月28日(水) 19:04 KICK OFF”. 浦和レッドダイヤモンズ. 2024年7月1日閲覧。
  29. ^ 武田善宏 (2024年3月19日). “ひろしまWEB特集 サンフレに夢をもらった少年 “今度は僕が夢を与える””. NHK NEWS WEB(広島 NEWS WEB) (NHK広島放送局). http://www.nhk.or.jp/hiroshima/lreport/article/007/31/ 2024年10月26日閲覧。 
  30. ^ 2013Jリーグ ディビジョン1 第5節 2013年4月6日(土) 19:04 KICK OFF”. 浦和レッドダイヤモンズ. 2024年7月1日閲覧。
  31. ^ a b 【サッカーコラム】意外や意外!?浦和DF森脇のデスゴール伝説”. サンケイスポーツ (2016年11月8日). 2024年7月1日閲覧。
  32. ^ 森脇良太の2019年2月10日のツイート2019年2月11日閲覧。
  33. ^ (日本語) ファイト!愛媛FC「どい〜ねサンパーク便り」Vol.17, http://www.youtube.com/watch?v=Xd7lyqHtZbQ 2023年7月13日閲覧。 
  34. ^ 浦和の“愛されキャラ”森脇良太 ブーイングを笑いに変えた男の7年間「感謝しかない」”. FOOTBALL ZONE (2019年12月7日). 2023年11月19日閲覧。
  35. ^ 「ついにこの瞬間がやって来ました」WE優勝の浦和L栗島朱里が歓喜!あの"伝統芸"がレディースでついに完成か「こだわり抜いたこの真顔」”. 超WORLDサッカー! (2023年6月17日). 2023年11月19日閲覧。
  36. ^ 「愛されてるなぁ」 男女でE-1優勝の日本代表、歓喜のトロフィー掲揚で“森脇芸”が発動!?「素敵なシーン」と話題”. FOOTBALL ZONE (2022年7月28日). 2023年11月19日閲覧。
  37. ^ FM愛媛で新番組「愛媛FC 森脇良太の『誘ってんじゃんRADIO』」スタート! PR TIMES 2022年3月21日

関連項目

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外部リンク

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