森川 敏雄(もりかわ としお、1933年(昭和8年)3月3日 - 2019年3月15日)は、日本実業家住友銀行頭取、全国銀行協会連合会会長などを歴任した。

もりかわ としお

森川 敏雄
生誕 (1933-03-03) 1933年3月3日
樺太・豊原市
死没 (2019-03-15) 2019年3月15日(86歳没)
出身校 東京大学法学部
職業 銀行家
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人物

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1933年樺太豊原市に生まれる。小学校4年の時、父を大洋丸撃沈事件で亡くしたことから、その後の生活は困窮を極めた。高校時代からアルバイトに精を出しつつ、向学に燃えるが、私立大学は無論のこと浪人できるような余裕はなく、背水の陣で東京大学法学部を受験、合格する[1]

1955年4月、住友銀行入行。企画、総務、秘書役など国内畑を歩み、1976年国際管理部長に就任、国際畑に転じる。その後、加州住友銀行副頭取(サンフランシスコ駐在)。香港支店長を経て、1980年6月取締役に昇格。以後副頭取在任時まで海外部門を担務した[1]

1993年6月、巽外夫からの指名を受け、後継として頭取に就任。イトマン事件金屏風事件で信用を失った住友銀の信頼回復のため、質実剛健の行風復活に取り組み、翌94年からは関西系としては初めて全銀協会長を務めた[2][3]1997年6月、全銀協会長時代在任時、一般委員長として森川を支えた西川善文に後事を託し会長に退いた[4]

2019年3月15日、肺炎のため死去。86歳没[5]

経歴

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脚注

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  1. ^ a b 「社長の決断 住友銀行 森川敏雄頭取」『SAPIO』1997年6月25日号
  2. ^ 「ひと 森川敏雄さん 住友銀行次期頭取」『朝日新聞』1993年4月29日
  3. ^ 「森川敏雄さん 住友銀行 質実剛健の社風復活 93新社長」『朝日新聞』1993年8月17日
  4. ^ 「住友銀頭取に西川氏 企画・実行力で適任 西川氏グローバル基準に」『日経金融新聞』1997年5月26日
  5. ^ “森川敏雄氏が死去 元住友銀行(現三井住友銀行)頭取”. 日本経済新聞社. (2019年3月22日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42788400S9A320C1CZ8000/ 2019年3月23日閲覧。 
  6. ^ a b c d e f 「月刊金融ジャーナル」1995年11月
先代
巽外夫
住友銀行頭取
x代目(1993-1997)
次代
西川善文