森巌
大日本帝国陸軍軍人
森 巌(巖、もり いわお、1899年(明治32年)3月25日[1] - 1945年(昭和20年)4月15日[1][注 1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将(没後特進)。
経歴
編集愛知県出身[1][2]。1919年(大正8年)5月に陸軍士官学校第31期卒業[3]。同年12月に陸軍歩兵少尉に任官[3]。1928年(昭和3年)陸軍大学校に入学し、1931年(昭和6年)同校第43期卒業[4]。
1940年(昭和15年)3月、戦車第2連隊長を経て、1941年(昭和16年)3月、陸軍歩兵大佐に進み、1942年(昭和17年)7月、戦車第2師団参謀長を経て、1945年(昭和20年)3月、陸軍少将に進級[2]。フィリピンのルソン島に転用され、リンガエン湾に突入した米軍により壊滅的な被害を受ける。その後、クラーク飛行場争奪戦に突撃し、翌月の4月15日、玉砕[1]。陸軍中将に特進した[1][2]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』では4月19日。
出典
編集参考文献
編集- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。