森下 博(もりした ひろし、1955年5月4日 -)は、神奈川県騎手会に所属していた元騎手である。デビュー時は騎手会所属まで所属していた川崎・長谷川茂師の師匠である井上宥藏厩舎の所属であった。同期には的場文男山崎尋美などがいる[1]

森下博
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県
生年月日 (1955-05-04) 1955年5月4日(69歳)
血液型 O型
騎手情報
所属団体 神奈川県川崎競馬組合
所属厩舎 {{{厩}}}
勝負服 胴赤・袖白・赤二本輪
初免許年 1973年
免許区分 平地
騎手引退日 2020年3月31日[1]
重賞勝利 33勝[1]
G1級勝利 1勝
通算勝利 22994戦2676勝(NAR)
経歴
所属 井上宥藏(川崎)→佐々木国廣(川崎)→
長谷川茂(川崎)
テンプレートを表示

経歴

編集

中学校時代の先生が牧場出身であることを契機に騎手を目指すようになり、1973年11月に川崎・井上宥藏厩舎の所属としてデビューし、初勝利を初騎乗で記録する快挙を見せる。

デビューしてまもない1975年、キヨフジ記念(現・エンプレス杯)のシヤンタンに騎乗するために減量特典を返上し勝利した。1978年に一度騎手免許を返上し廃業、1980年再取得し復帰した。

牝馬や短距離に強く、桜花賞東京3歳優駿牝馬でそれぞれ3勝するなどの実績を誇り、2003年、日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞[2]2006年8月には地方競馬通算2500勝を達成[3]している。

また、「逃げの森下」の異名を持つほど逃げにも強く、また、人気薄も度々持ってくる事から穴騎手としても知られている。 中央競馬に参戦する事は少ないが、第1回ヴィクトリアマイルにマイネサマンサに騎乗した事がある(結果は10着)。

2012年7月15日金沢競馬場所属だった山中利夫が引退したため、国内最年長騎手になった[4]

2015年5月28日付で所属先の調教師だった長谷川が引退したため[5]、翌5月29日付で神奈川県騎手会所属となった。

2020年3月4日、川崎競馬第9競走をマイネルミシシッピで勝利し、地方競馬における騎手の最年長勝利記録を64歳10ヶ月に更新した[6]。なお、この記録は2021年7月14日に的場文男によって塗り替えられた[7]

2020年3月31日をもって騎手を引退した。引退後は厩務員となった[8]

2022年8月31日をもって厩務員を引退し、競馬界を離れた[9]

主な騎乗馬

編集

出典:[10]

脚注

編集
  1. ^ a b c 高橋華代子. “森下博騎手、お疲れ様でした!”. 南関魂 高橋華代子の南関東競馬ブログ. 2020年4月12日閲覧。
  2. ^ 日本プロスポーツ大賞授賞式典
  3. ^ 川崎の森下博騎手、地方通算2500勝達成
  4. ^ 国内最年長63歳、山中利夫騎手15日で引退
  5. ^ 川崎競馬場所属調教師の引退について - 川崎競馬公式Webサイト(2015年6月3日)※2015年6月4日閲覧
  6. ^ “森下博騎手が最年長勝利記録を更新”. サンケイスポーツ. (2020年3月4日). https://race.sanspo.com/nationalracing/news/20200304/nranws20030419530014-n1.html 2020年3月5日閲覧。 
  7. ^ 【地方競馬】“大井の帝王”的場文男騎手にまた新たな勲章! 「本当に感謝の気持ちでいっぱい」 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年7月21日閲覧。
  8. ^ 高橋華代子 (2020年8月31日). “森下博厩務員、初勝利を挙げました!”. 南関魂. 2020年11月6日閲覧。
  9. ^ 森下博元騎手が8月31日をもって競馬界を離れることになりました。 - カツマルくんTwitter(2022年9月1日)2022年9月1日閲覧。
  10. ^ 騎手名鑑 森下博”. 川崎競馬倶楽部. 2020年3月5日閲覧。

外部リンク

編集