梅若恭行
梅若 恭行(うめわか やすゆき、本名:梅若泰男、前名:梅若泰之、1917年(大正6年)10月6日 - 2003年(平成15年)1月20日)はシテ方観世流の能楽師で、重要無形文化財総合認定保持者、日本芸術院会員である[1]。
概説
編集二世梅若実の三男として東京に生まれる[1]。父と兄の五十五世梅若六郎に師事[2]。1921年(大正10年)に仕舞『猩々」で初舞台。『姨捨』、『檜垣』をはじめ、真摯で品格の高い芸風で知られた[1]。能楽界における最長老、重鎮として活躍した。また後進の指導育成にも尽力するなど、能の伝統を守り、後世に伝えるべく精進を重ねてきた[2]。1988年(昭和63年)に日本芸術院賞を受賞[1]。1996年(平成6年)に初の試みとしてヨーロッパで能・文楽・歌舞伎による『俊寛』を競演[1]。1999年(平成11年)には東京と名古屋で能楽最高の秘曲『関寺小町』を舞い、高い評価を得た[1]。他にも海外公演や野外能に積極的に参加[1]。2002年(平成14年)10月の舞囃子『絃上』が最後の舞台となった[1]。長男に梅若長左衛門がいる[3]。
関連書誌
編集- 「〝老女〟のこと」『観世』第55巻第6号、桧書店、1988年6月、28-29頁、doi:10.11501/6031676。
- 「元昭様を偲んで」『観世』第60巻第12号、桧書店、1993年11月、51-52頁、doi:10.11501/6031741。
- 「「子どもの能」の記憶」『観世』第63巻第9号、桧書店、1996年9月、44-45頁、doi:10.11501/6031741。
- 「梅若恭行師 追悼」『観世』第70巻第3号、桧書店、2003年3月、66-69頁。
ビデオグラム
編集- 『「仕舞一調舞囃子集」(全九曲)』NHKエンタープライズ〈能楽名演集〉、DVD-Video[4]。
関連文献
編集- 日外アソシエーツ編『新撰 芸能人物事典 明治~平成』(2010年刊)
- 西野春雄「能界展望(平成十五年・十六年)」『能楽研究 : 能楽研究所紀要』第30巻、野上記念法政大学能楽研究所、2006年6月、163-181頁、doi:10.15002/00002850、hdl:10114/1313、ISSN 0389-9616、CRID 1390572174779937664。 物故者欄、176頁
脚註
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h "梅若恭行(ウメワカ ヤスユキ)とは?". コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2024年12月31日閲覧。
- ^ a b "梅若恭行 思い出写真館". umewaka.com. 2003年2月24日. 2024年12月31日閲覧。
- ^ "会員詳細|梅若長左衛門(うめわかちょうざえもん)". 会員紹介. 公益社団法人能楽協会. 2024年12月31日閲覧。
- ^ "能楽名演集「仕舞一調舞囃子集」(全九曲)". 株式会社NHKエンタープライズ. 2024年12月31日閲覧。