桑折英三郎
桑折 英三郎(こおり ひでさぶろう、1887年12月21日 - 1977年12月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
桑折 英三郎 | |
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生誕 |
1887年12月21日 日本、東京府 |
死没 | 1977年12月19日(89歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1910 - 1940 |
最終階級 | 海軍中将 |
経歴
編集東京で生まれる。本籍は愛媛県。1909年(明治42年)11月、海軍兵学校(37期)を卒業し、1910年(明治43年)12月、海軍少尉任官。海軍大学校乙種、海軍砲術学校高等科で学ぶ。1917年(大正6年)12月、「磐手」分隊長となり、「山風」砲術長、砲術学校教官兼副官などを経て、1921年(大正10年)12月、海軍少佐に昇進。1922年(大正11年)11月、海大(甲種20期)を卒業した。
1922年12月、「日向」分隊長に就任。1923年(大正12年)3月、皇族付武官として高松宮宣仁親王付となり、以後、高松宮の異動に伴い、「浅間」「長門」「扶桑」「古鷹」の各乗組、横須賀鎮守府付を兼務した。この間の1926年(大正15年)12月、海軍中佐に進級。
1927年(昭和2年)4月、横須賀鎮守府付として欧米各国に出張。1928年(昭和3年)5月、「木曾」副長となり、海軍省軍務局局員を経て、1930年(昭和5年)12月、海軍大佐に昇進し海大教官となる、同月、海軍経理学校教官を兼務。1931年(昭和6年)12月、侍従武官兼軍事参議院幹事に異動。1935年(昭和10年)12月、「陸奥」艦長に就任し、佐世保鎮守府参謀長に転じ、1936年(昭和11年)12月、海軍少将に進級。
1938年(昭和13年)9月、第13戦隊司令官となり、第1連合特別陸戦隊司令官を経て、1939年(昭和14年)10月、在満州国大使館付武官に異動。1940年(昭和15年)11月、海軍中将に進級し軍令部出仕となる。同年12月、予備役編入となり皇子傅育官となった。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
- 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第9巻、発売:第一法規出版、1995年。