桑山清晴
桑山 清晴(くわやま きよはる)は、江戸時代前期の大名。和泉国谷川藩主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 又四郎(幼名)、清晴 |
別名 | 普庵(号) |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川秀忠 |
藩 | 和泉谷川藩主 |
氏族 | 桑山氏 |
父母 | 桑山元晴 |
兄弟 | 清晴、貞晴、栄晴、岡部宣勝正室 |
略歴
編集桑山元晴の長男として誕生。
慶長11年(1606年)に祖父・桑山重晴が死去したとき、その隠居料である1万6000石のうち1万石を相続した。
しかし慶長14年(1609年)、幕府より勘気を被って蟄居を余儀なくされた。これにより谷川藩は廃藩となり、その領地は父元晴の御所藩に編入された。
参考文献
編集- 堀田正敦『国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重脩諸家譜. 第6輯』國民圖書、1923年 。