桂 小軽(かつら おかる、1950年12月23日 - )は大阪市出身の落語家。本名∶西裏 文雄出囃子は『大拍子』。

かつら 小軽おかる
桂(かつら) 小軽(おかる)
結三柏は、桂文枝一門の定紋である。
本名 西裏にしうら 文雄ふみお
生年月日 (1950-12-23) 1950年12月23日(74歳)
出生地 日本の旗 日本大阪府大阪市
師匠 五代目桂文枝
活動期間 1971年 -
活動内容 上方落語
所属 よしもとクリエイティブ・エージェンシー(1971年 - 2015年)
備考
上方落語協会会員(1971年 - 2015年)

略歴

編集

子供のころNHK大阪児童劇団で活動。

1968年4月、関西大学経済学部入学し、1972年に卒業。

1971年3月、5代目桂文枝(当時:3代目桂小文枝)に入門。

1977年2月6日に放送された桂三枝(現:6代桂文枝)司会の『いたずらカメラだ!大成功』の番組でライオンがいる檻の中に何も説明も無いまま放り込まれライオンに襲われ怪我をした。桂小軽はこの時にライオンの前爪で右脇腹を引っかかれ流血したがスタッフは助けたりしないで笑って見ているだけだったという。この出来事については桂小軽の所属する芸団協がテレビ局へ抗議する事態にまで発展した。しかし、この件で一躍有名になり、レギュラー番組を最高12本持つほどの売れっ子になった[1][2]

他にもラジオ関西テレテレ三度笠!」のパーソナリティーを小山乃里子、露の小治郎(後の五所の家小禄)等と務めた。

1980年代、吉本興業を離れ廃業していた時期があり東京で劇団を作ったり、司会業などをしていた。島田紳助から「兄さん、吉本に戻ったらどうです」と声をかけられ、紳助が会社と掛け合ったことで1992年、吉本に復帰[3]

2015年11月22日、和歌山県の社会福祉法人への寄付を装った相続遺産の脱税事件で、大阪地方検察庁特別捜査部に共犯として相続税法違反の容疑で逮捕された[4][5]

その後起訴猶予処分になったが、上方落語協会に退会届を提出し、協会側が受理する意向であると報道される[6]。吉本との話し合いで「不起訴でもこういうことになってしまったからな…」と言われて、自分から身を引くことを決めて契約解消となり[1]、公式サイトからプロフィールが削除されたが[7]、本人は円満退社であると話した[1]。事件については自分の長年のタニマチから遺産相続による相続税で困っていると相談され、複数人を紹介したが報酬をもらっていないのに逮捕されてしまったとしている[1]

弟子

編集

出演番組

編集

脚注

編集
  1. ^ a b c d 1千万円のギャラ飲みを断ったトップ芸人 桂小軽が語る島田紳助と吉本の掟(1/2)」『AERA.dot』2019年8月2日。2019年8月3日閲覧。
  2. ^ 桂小軽 脱税共犯で逮捕 ライオンに襲われ有名に ZAKZAK 2015年11月24日
  3. ^ 1千万円のギャラ飲みを断ったトップ芸人 桂小軽が語る島田紳助と吉本の掟(2/2)」『AERA.dot』2019年8月2日。2019年8月3日閲覧。
  4. ^ “ライオンに襲われ有名に 逮捕の落語家、北新地の高級クラブで豪遊 相続遺産脱税”. (2015年11月23日). https://web.archive.org/web/20170924230322/http://www.sankei.com/smp/west/news/151123/wst1511230031-s.html 2017年9月25日閲覧。 
  5. ^ “弟弟子・小軽の逮捕に、文枝会長「協会として厳罰に処す」”. (2015年11月24日). https://www.sankei.com/article/20151124-65OA4DPBXVJCNLWT6IJUG5IIEA/ 2017年9月25日閲覧。 
  6. ^ “逮捕の桂小軽、上方落語協会退会届を提出…文枝会長「受理したい」”. スポーツニッポン. スポーツニッポン新聞社. (2015年12月29日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/12/28/kiji/K20151228011765090.html 
  7. ^ “逮捕2日前までキャバ通い ライオンに襲われた落語家、コロンボ税理士、大物政治家の元秘書…10億円遺産に群がった8人の面妖”. (2016年1月7日). https://www.sankei.com/article/20160107-ZTZ5TH2OK5I6VGG7GSSI43URG4/ 2019年6月16日閲覧。 

外部リンク

編集