栄和 (さいたま市)
埼玉県さいたま市桜区の町丁および大字
栄和(さかわ)は、埼玉県さいたま市桜区の町丁および大字。現行行政地名は栄和一丁目から栄和六丁目および大字栄和。町丁は住居表示実施地区[4]。郵便番号は338-0823[2]。
■栄和 | |
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オリジン電気本社事業所 | |
北緯35度52分11.98秒 東経139度36分59.94秒 / 北緯35.8699944度 東経139.6166500度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市 |
区 | 桜区 |
地域 | 浦和地区 |
人口 | |
• 合計 | 8,509人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
338-0823[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
地理
編集さいたま市桜区ほぼ中央の沖積平野(荒川低地)に位置する。東側を山久保や中島、南側を町谷や道場、西側を下大久保や上大久保、北側を中央区上峰と接する。また人口は0人だが、さいたま市記念総合体育館のすぐ西方の堤内地に一つと、荒川堤外地(河川敷)にある大小五つの飛地[5]として大字栄和も存在する。主に住宅地として利用されている。
地価
編集住宅地の地価は、2019年(平成31年)1月1日の公示地価によれば、栄和2-19-10の地点で13万7000円/m2となっている[6]。
歴史
編集江戸期は武蔵国足立郡与野領に属する千駄村(せんだむら)および西蓮寺村(さいれんじむら)であった[7][8]。西蓮寺村は古くは高鼻荘に属していたと云われている[9]。
- 千駄村発足当初は幕府領、正保年間(1645年〜1648年)より知行は旗本水野氏、元禄年間(1688年〜1704年)より再び幕府領となる。平野原の持添新田のほか、村の西方にある2ヶ所の入会地に飛地をそれぞれ領していた[7]。村高は「田園簿」では241石(田137石、畑104石)、「元禄郷帳」では313石、「天保郷帳」では325石。化政期の戸数は37軒で、村の規模は東西3町余、南北5町余であった[7][10]。
- 西蓮寺村は正保年間(1645年〜1648年)より知行は旗本水野氏、元禄年間(1688年〜1704年)より幕府領となる。平野原の持添新田のほか、2ヶ所の入会地に飛地をそれぞれ領していた[8]。村高は「田園簿」では70石(田37石余、畑32石余)、「元禄郷帳」では105石、「天保郷帳」では108石。化政期の戸数は16軒で、村の規模は東西、南北共3町余であった[8][9]。
- 幕末時点では足立郡西蓮寺村および千駄村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、両村とも代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[11]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旧幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1877年(明治10年)1月29日 - 西蓮寺村と千駄村が合併し、足立郡栄和村が成立[12][13]。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、北足立郡与野領町谷、南元宿、西堀、関、鹿手袋、田島、新開、道場、栄和、中島、山窪の十一村が合併し、土合村が成立[12][14]。土合村の大字栄和となった[13]。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 北足立郡土合村が大久保村とともに浦和市へ編入[15]。浦和市の大字となった。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 地内に浦和市立栄和小学校(現さいたま市立栄和小学校)が開校する。
- 1985年(昭和60年)8月1日 - 住居表示実施により、大字栄和・道場の各一部から栄和一丁目 - 栄和六丁目が成立[16]。また、大字栄和の一部が道場一丁目 - 五丁目の一部となる[16]。
- 1986年(昭和61年)8月1日 - 住居表示が実施され、大字栄和の一部が山久保一丁目・二丁目の一部となる[16]。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。同市の町丁および大字となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、同市桜区の町丁および大字となる。
世帯数と人口
編集2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は、以下のとおりである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
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栄和一丁目 | 601世帯 | 1,302人 |
栄和二丁目 | 832世帯 | 1,859人 |
栄和三丁目 | 815世帯 | 1,654人 |
栄和四丁目 | 549世帯 | 1,084人 |
栄和五丁目 | 712世帯 | 1,397人 |
栄和六丁目 | 588世帯 | 1,213人 |
計 | 4,097世帯 | 8,509人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下のとおりとなる[17]。
丁目 | 区域 | 小学校 | 中学校 |
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栄和一丁目 | 全域 | さいたま市立栄和小学校 | さいたま市立土合中学校 |
栄和二丁目 | 全域 | さいたま市立上大久保中学校 | |
栄和三丁目 | 全域 | ||
栄和四丁目 | 全域 | ||
栄和五丁目 | 全域 | ||
栄和六丁目 | 全域 | さいたま市立土合中学校 |
交通
編集鉄道
編集地区内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅は南与野駅であるが、栄和2-19-10の地点よりおよそ1.7 km[6]離れている。
道路
編集寺社
編集- 東神社
- 重円寺
- 蓮乗寺 - 六丁目に所在
施設
編集- 一丁目
- 二丁目
- 栄和自治会館
- 浦和栄和郵便局
- 浦和栄和団地
- 三丁目
- 栄和三丁目公園
- 栄和丸田公園
- 六丁目
- さかわ幼稚園
- JAさいたま土合西
- 大字栄和
※なお栄和公民館は、さいたま市桜区道場二丁目にある。
脚注
編集- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月25日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ “住居表示実施地区一覧” (PDF). さいたま市 (2019年2月26日). 2019年9月2日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 917頁。
- ^ a b 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 516頁。
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 395頁。
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 西蓮寺村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 千駄村.
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ a b 『わがまち浦和』 巻末付録(頁番号なし)。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 400頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 567頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 増補4頁。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県(増補版)』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 浦和市総務部市史編さん室『わがまち浦和―地域別案内』浦和市、1982年11月30日。
- 新編武蔵風土記稿
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
編集外部リンク
編集- さいたま市地図情報 - さいたま市
- さいたま市桜区ガイドマップ - さいたま市