栂 (駆逐艦)

大日本帝国海軍の二等駆逐艦

(つが)は、日本海軍駆逐艦樅型駆逐艦の8番艦である。

艦歴
計画 1917年度(八四艦隊計画
起工 1919年3月5日
進水 1920年4月17日
就役 1920年7月20日
その後 1945年1月15日戦没
除籍 1945年3月10日
性能諸元
排水量 基準:770t
全長 83.82m
全幅 7.93m
吃水 2.44m
主缶 ロ号艦本式罐・重油焚3缶
主機 オールギアードタービン2基2軸 21,500hp
最大速力 36.0kt
航続距離 14ktで3000海里
燃料 重油250t
乗員 107名
兵装 12cm単装砲3門
53cm連装魚雷発射管2基4門
6.5mm単装機銃2基

艦歴

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1919年(大正8年)3月5日、石川島造船所で起工。1920年(大正9年)4月17日進水。7月20日竣工。

1937年(昭和12年)、日中戦争に参戦。揚子江流域の作戦に従事。揚子江遡航作戦中の1938年7月3日の安慶泊地空襲の際に「栂」は撃墜された敵機から兵器図誌等を押収した[1]

1941年(昭和16年)、太平洋戦争に参戦。上海方面での船団護衛、哨戒作戦に従事。 1945年(昭和20年)1月15日、高雄付近で米空母艦載機の攻撃を受け沈没。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』374-375頁による。

艤装員長

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  • 公家種次 少佐:1920年3月15日[2] - 1920年4月20日[3]
  • (兼)公家種次 少佐:1920年4月20日[3] -

駆逐艦長

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  • 公家種次 少佐:1920年4月20日[3] - 1920年12月1日[4]
  • 成田二郎 少佐:1920年12月1日 - 1921年4月16日[5]
  • 郷田喜一郎 少佐:1921年4月16日 - 1921年12月1日
  • 柏木英 少佐:1921年12月1日 - 1922年9月20日
  • 高島田政耕 少佐:1922年9月20日 - 1923年11月10日[6]
  • (心得)河原金之輔 大尉:1923年11月10日 - 不詳
  • 河原金之輔 少佐:不詳 - 1924年12月1日[7]
  • 石橋三郎 少佐:1924年12月1日[7] - 1925年6月29日[8]
  • 境澄信 少佐:1925年6月29日[8] - 1925年12月1日[9]
  • 崎山釈夫 大尉:1925年12月1日 - 1926年12月1日
  • 原忠一 少佐:1926年12月1日 - 1927年12月1日
  • 大藤正直 少佐:1927年12月1日[10] - 1928年2月1日[11]
  • 河原金之輔 少佐:1928年2月1日 - 1928年12月10日
  • 西村義治 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
  • 大西敬一 少佐:1929年11月30日 - 1930年4月20日[12]
  • 小西要人 少佐:1930年4月20日 - 1931年4月15日[13]
  • 山本岩多 大尉:1931年4月15日 - 1933年5月1日[14]
  • 脇田喜一郎 少佐:1933年5月1日 - 1935年10月31日
  • 轟万作 少佐:1935年10月31日 - 1936年12月1日
  • 本田勝熊 少佐:1936年12月1日 - 1937年9月14日[15]
  • 法元廉 少佐:1937年9月14日 - 1938年6月1日[16]
  • 仙波繁雄 少佐:1938年6月1日 - 1938年12月15日[17]
  • 大河原肇 少佐:1938年12月15日 - 1939年7月20日[18]
  • 橋本金松 大尉:1939年7月20日 - 1940年10月15日[19]
  • 西野繁 少佐:1940年10月15日 -
  • 森新一 大尉:1942年8月1日 -
  • 平田正明 少佐:1943年3月15日 -
  • 國谷正信 大尉:1944年3月1日 -
  • 吉井俊雄 少佐:1944年12月2日 -

脚注

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  1. ^ 『中国方面海軍作戦<2>昭和十三年四月以降』27ページ
  2. ^ 『官報』第2283号、大正9年3月16日。
  3. ^ a b c 『官報』第2313号、大正9年4月21日。
  4. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  5. ^ 『官報』第2611号、大正10年4月18日。
  6. ^ 『官報』第3368号、大正12年11月13日。
  7. ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  8. ^ a b 『官報』第3855号、大正14年6月30日。
  9. ^ 『官報』第3982号(大正14年12月2日)では「梅」と表記されたが、『官報』第3987号(大正14年12月8日)で「栂」に訂正された。
  10. ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  11. ^ 『官報』第327号、昭和3年2月2日。
  12. ^ 『官報』第990号、昭和5年4月21日。
  13. ^ 『官報』第1286号、昭和6年4月16日。
  14. ^ 『官報』第1897号、昭和8年5月2日。
  15. ^ 海軍辞令公報 号外 第54号 昭和12年9月15日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072300 
  16. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第189号 昭和13年6月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073900 
  17. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第273号 昭和13年12月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800 
  18. ^ 海軍辞令公報(部内限)第361号 昭和14年7月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076000 
  19. ^ 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 

参考文献

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