柿崎氏(かきざきし)は、越後国頸城郡を拠点とする国人である。

その先祖は、伊豆の豪族である大見氏宇佐美氏)にさかのぼる。大見氏は、鎌倉幕府の設立に尽力し、その功績が認められたことで、越後国の揚北地方に所領を与えられ、国人となった。

大見氏の直系の子孫である安田氏水原氏は、「揚北衆」と呼ばれるようになった。柿崎氏は、この揚北衆の一族として知られている。柿崎氏は、揚北地方を治める国人として、長年にわたって越後の支配を続けてきた。

柿崎景家上杉謙信から「和泉(景家)に分別があれば、越後七郡で敵う者無し」と称賛されるほどの剛勇を見せた。景家は病没したとも、織田信長との内通を疑われて謙信に暗殺されたともいう。景家の子の晴家御館の乱上杉景虎方に付き、景虎と敵対する上杉景勝に殺された。[1]80頁

脚注

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  1. ^ センゴク ブショウ ジテン: ランセイ オ イキタ 830ニン. 東京: 新紀元社. (2008). ISBN 978-4-7753-0628-4