柴田兵一郎
柴田 兵一郎(しばた ひょういちろう、1899年(明治32年)6月4日[1][2] - 1976年(昭和51年)3月30日[2][3][4])は、大正末から昭和期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、衆議院議員、岩手県岩手郡沼宮内町長。岩手町名誉町民[2]。正四位勲二等[3]。
経歴
編集岩手県岩手郡沼宮内町(現岩手町[2])で、柴田兵右衛門の孫として生まれた[5]。1924年(大正13年)3月、慶應義塾大学経済学部を卒業[2][3][4][5]。1925年(大正14年)に第一銀行に入り、東北銀行初代頭取、盛岡電燈取締役、沼宮内信用組合長、同農会長等のほか、沼宮内町長(1931年5月から3期在任[2])、盛岡地方裁判所人事調停委員などを務めた[3][4][5]。
1939年(昭和14年)岩手県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任し[6]、同和会に所属して1946年(昭和21年)4月16日まで在任[3][7][8]。この間、逓信省委員、運輸通信省委員、運輸省行政委員等を務めた[3][4]。
1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙(岩手県全県区、日本進歩党)で当選し[9]、衆議院議員に1期在任した[4]。この間、第1次吉田内閣で大蔵参与官を務めた[2][3][4]。その後、公職追放となる[10][注 1]。追放解除後の1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙(岩手県第1区、自由党)に立候補したが落選した[11]。
親族
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 追放事由は「翼賛沼宮内町翼賛体制協議会構成員」
出典
編集- ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、21頁。
- ^ a b c d e f g h i 『岩手人名辞典』133頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』203頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』309頁。
- ^ a b c 『人事興信録 第14版 上』シ42頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、49頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、55頁。
- ^ 『官報』第5783号、昭和21年4月27日。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』69頁。
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、558頁。NDLJP:1276156。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』25頁。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。