柳生俊久
日本の政治家
柳生 俊久(やぎゅう としなが[1] / としなか[2]、1867年4月10日(慶応3年3月6日[1]) - 1941年(昭和16年)2月5日[1][2])は、明治から昭和前期の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍歩兵大佐。貴族院子爵議員。旧名・小笠原束三郎[1]。
経歴
編集越前勝山藩主・小笠原長守の三男として生まれ、1892年(明治25年)子爵・柳生俊郎の養子となり俊久と改名[1][3]。1915年(大正4年)10月8日に養父が隠居したことに伴い、同月20日、子爵を襲爵した[1][3][4]。
陸軍士官学校(旧10期)に入り[5]、1888年(明治21年)7月28日、歩兵少尉に任官[6]。以後、歩兵第1連隊中隊長、歩兵第5連隊中隊長、第1師団副官、歩兵第1連隊大隊長、松本連隊区司令官などを歴任[2]。1913年(大正2年)8月31日、歩兵大佐に昇進し[6]、1915年(大正4年)8月10日に待命となり[7]、同年10月15日、予備役に編入された[2][3][8]。
1919年(大正8年)5月17日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[9][10]、研究会所属で活動して1932年(昭和7年)7月9日まで2期在任した[2][3]。その他、亀戸天神社司、若葉女学校長を務めた[3]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正3年7月1日調』陸軍省等、1914年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 柳生俊郎 |
子爵 柳生家第2代 1915年 - 1941年 |
次代 柳生重五 |