柳沢 保泰(やなぎさわ やすひろ)は、江戸時代後期の大名大和国郡山藩の第4代藩主。郡山藩柳沢家5代。3代藩主・柳沢保光の次男。

 
柳沢 保泰
時代 江戸時代後期
生誕 天明2年12月23日1783年1月25日
死没 天保9年5月25日1838年7月16日
別名 信近、光雄
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
大和国郡山藩
氏族 柳沢氏
父母 父:柳沢保光 母:大内氏
兄弟 保民保泰中川久貴柳生俊豊武田信之里顕
正室:戸田氏教の娘
保興小笠原長和光昭、定(真田幸良正室)、娘(相馬充胤正室)、娘(本多忠徳正室)
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経歴

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官位位階

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