林雑物
奈良時代後期の官人
林 雑物(はやし の さいもち、生没年不詳)は、奈良時代後期の官人。名は佐比物とも記される[1][2][3]。姓は連のち宿禰。官位は外従五位下・主計助。
経歴
編集聖武朝の天平11年(739年)従八位下・伊豆目の官位にあった(伊豆正税帳の継目裏書)[1][4]。
孝謙朝の天平勝宝5年(753年)日本博士・中臣丸張弓と一緒に正月十五日祭の勘奏を進めている(この時の位階は正七位上)[5]。天平勝宝7歳(755年)正月の九月九日祭についても、張弓らとともに勘奏を進めている[6]。天平勝宝8歳(756年)東大寺の田地を点定した(この時の官位は正六位下因幡掾)[7][3]。
称徳朝の天平神護3年(767年)正月に外従五位下に叙爵し、同年7月に上野介に任官する。神護景雲3年(769年)兄弟の林広山らとともに連から宿禰に改姓した[2]。
官歴
編集注記のないものは『続日本紀』による。