林田悠紀夫
日本の政治家
林田 悠紀夫(はやしだ ゆきお、1915年(大正4年)11月26日 - 2007年(平成19年)11月11日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員や京都府知事を務めた。綾部市名誉市民。正三位勲一等旭日大綬章。
林田悠紀夫 はやしだ ゆきお | |
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生年月日 | 1915年11月26日 |
出生地 | 京都府舞鶴市 |
没年月日 | 2007年11月11日(91歳没) |
出身校 | 東京帝国大学(現・東京大学) |
前職 |
農林省官僚 神社本庁理事 |
所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) 自由民主党(宮澤派) |
称号 |
正三位 勲一等旭日大綬章 参議院永年在職議員′ |
第46代 法務大臣 | |
内閣 | 竹下内閣 |
在任期間 | 1987年11月6日 - 1988年12月27日 |
公選第9-10代 京都府知事 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1978年4月16日 - 1986年4月15日 |
選挙区 | 京都府選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1966年4月28日 - 1978年3月25日 1986年7月8日 - 1998年7月25日 |
来歴・人物
編集京都府舞鶴市出身。東八田尋常小・舞鶴中・旧制三高を経て東京帝国大学(現・東京大学)法学部卒業後の1939年、農林省に入省。同年5月5日海軍主計短期現役第2期生として海軍経理学校入校、9月5日卒業。1944年2月、第三一航空隊主計長としてマニラ、ジョグジャカルタで勤務。1945年4月、ボルネオ海軍民政部経済課長を命ぜられパンジェルマシンに転属。7月1日連合軍のバリクパパン上陸によりジャングル地帯で戦闘に当たった(ボルネオの戦い)。敗戦後1年間の捕虜生活を送り復員。
帰国後、農地局総務課長[1]、振興局参事官、水産庁漁政部長、大臣官房長、園芸局長などを歴任した後、1966年、参院選補欠選挙に京都地方区から出馬し初当選。当選3回を数え初入閣間近といわれた1978年、京都府知事蜷川虎三の引退表明に伴い、自由民主党、新自由クラブ推薦で京都府知事選に出馬・当選した。副知事には、蜷川府政追及の先頭に立っていた野中広務府議と蜷川府政下で総務部長を務めた荒巻禎一を抜擢した。
1986年まで2期8年務めた後、同年の参院選に京都地方区から当選。再び参議院議員を務め、1998年に2期12年で引退するまで、竹下内閣の法務大臣などを歴任した。また、神社本庁理事、全国神社総代会副会長などを務めた。
脚注
編集議会 | ||
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先代 初村滝一郎 |
参議院予算委員長 1989年 - 1990年 |
次代 平井卓志 |
先代 剱木亨弘 |
参議院商工委員長 1976年 - 1976年 |
次代 柳田桃太郎 |
公職 | ||
先代 遠藤要 |
法務大臣 第46代:1987年 - 1988年 |
次代 長谷川峻 |
先代 蜷川虎三 |
京都府知事 公選第9・10代:1978年 - 1986年 |
次代 荒巻禎一 |