林奉行(はやしぶぎょう)は、江戸幕府における職名の1つ。幕府直轄の山林を掌り、材木の伐採や検分、運搬などをその職務とした。勘定奉行の支配で、焼火之間詰。100俵高の持高勤めで、当初は役扶持があったが後に廃止された。定員は4人から6人[1]

部下として手代(30俵2人扶持)と手代見習(15俵1人扶持)が付属。正徳期の分限帳では奉行4人に手代10人・同心4人・山役人が16人付属とあり、寛政年間の『武鑑』では奉行2人に手代8人ずつ、安政3年(1856年)の『会計便覧』によれば奉行16人に手代9人付属と記されており、その人員は一定しなかった。

御鳥見役からこの職に就き、のちに作事下奉行や御細工頭へ進んだとある[2]

沿革

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貞享2年(1685年)6月10日、勘定役4人が良材の巡察を命じられたのが、奉行職設置の始まり[1]

当初は定員4人だったが、享保9年(1724年)から同10年(1725年)に2人になり、幕末期には16人前後に増加した。

役扶持として7人扶持から10人扶持が支給されていたが、明和7年(1770年)に役扶持支給は廃止された。

脚注

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  1. ^ a b 『吏徴』より。
  2. ^ 『明良帯録』より。

参考文献

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