板垣只二
経歴
編集徳島県出身。井村乕吉の二男として生まれ、板垣住蔵の養子となった[2]。1911年(明治44年)、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)紡織科を卒業[2]。朝鮮総督府属、同税関鑑定官を務めた[3]。1921年(大正10年)、高等試験行政科に合格[2]。朝鮮総督府税関監視官・事務官、税関関税官、理事官、馬山府尹、木浦府尹などを歴任した[3]。
退官後の1932年(昭和7年)、高等試験司法科に合格し、弁護士を開業した[2]。1935年(昭和10年)には中央大学法学部を卒業した[2]。
その他、東京ビタミン製造会社社長、第一化学工業株式会社社長、北陸工業株式会社社長、小倉鉱業株式会社社長、時事写真速報株式会社取締役会長、京浜昭興株式会社社長、共立企業株式会社取締役、蔵前工業会館株式会社取締役、共立興業株式会社取締役、壁谷ゴム工業株式会社取締役、銀座昭興株式会社監査役などを務めた[2][4]。
著書
編集- 『関税行政法論』(青山堂書店、1931年)
脚注
編集- ^ 大衆人事録 1943.
- ^ a b c d e f 人事興信録 1939.
- ^ a b 人事興信録 1931.
- ^ 人事興信録 1943.
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。