板倉 勝意(いたくら かつおき)は、江戸時代中期から後期にかけての大名上野国安中藩主。官位従五位下主計頭伊予守。重形系板倉家5代。

 
板倉勝意
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦5年8月1日1755年9月6日
死没 文化2年10月10日1805年11月30日
改名 延次郎・百助(幼名)、勝意
戒名 瑞円院寂厳源運
墓所 愛知県西尾市貝吹町の長円寺
官位 従五位下主計頭伊予守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
上野安中藩
氏族 板倉氏
父母 板倉勝清、側室
板倉勝暁
兄弟 勝暁北条氏興、内藤正久、本堂親房
勝矩勝意板倉重治養女、
水野忠見正室、土井利厚正室ら
小笠原長恭娘・光子
毛利就馴
勝尚
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略歴

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宝暦5年(1755年)8月1日、初代藩主・勝清の六男として誕生。安永9年(1780年)9月10日、兄で2代藩主・板倉勝暁の養子となる。天明4年(1784年)12月15日、10代将軍・徳川家治に拝謁する。天明5年12月18日、従五位下伊予守に叙任した。寛政4年(1792年)9月27日、勝暁の死去により家督を継いだ。

文化2年(1805年)10月10日(または10月20日)に死去した。享年51。跡を養子・勝尚が継いだ。

系譜

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父母

正室、継室

養子