松虫寺
千葉県印西市松虫にある真言宗豊山派の寺院
松虫寺(まつむしでら)は、千葉県印西市松虫にある真言宗豊山派の寺院[1]。山号は摩尼珠山[1]。院号は医王院。本尊は七仏薬師瑠璃光如来。建立は天平17年(745年)といわれる。
松蟲寺 | |
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松虫寺本堂 | |
所在地 | 千葉県印西市松虫7番地(〒270-1602) |
位置 | 座標: 北緯35度47分21.8秒 東経140度12分55.7秒 / 北緯35.789389度 東経140.215472度 |
山号 | 摩尼珠山 |
院号 | 醫王院 |
宗旨 | 新義真言宗 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 七仏薬師瑠璃光如来 |
創建年 | 天平17年(745年) |
開山 | 行基 |
開基 | 聖武天皇 |
正式名 | 摩尼珠山醫王院松蟲寺 |
公式サイト | 印西市 摩尼珠山医王院松虫寺 |
法人番号 | 9040005006550 |
松虫姫神社 |
歴史
編集行基が建立したとする説がある[2][3]。『利根川図志』では、瑞慶が製作した仁王像があり、本尊は行基が製作したと伝わる[3]。
2022年時点で、次のような寺伝を掲げている[4]。
聖武天皇の皇女松虫姫は難病にかかり、手の施しようがなく、病臥の日を送っていた。ある日、下総萩原の薬師如来が姫の夢枕に立ち、「東国に下向して祈れば難病もよくなるだろう」とのお告げがあった。そこで天皇は姫を牛の背に乗せ、行基を随って下総に向かった。下総の印旛にある萩原の地に着くと、夢に見た薬師堂が在り、姫は祈りを捧げ、ついにその病に打ち勝ったとされる。 帰京の際、姫と一緒にやってきた牛は姫だけが帰って行くのを悔やみ、池に身を投げてしまった。その池は牛むぐりの池と呼ばれ、今でも存在する。
文化財
編集- 重要文化財(国指定)
- 県指定有形文化財
- 鋳銅孔雀文磬[6]
所在地
編集千葉県印西市松虫7
交通
編集なお、印旛日本医大駅には「松虫姫」という名の副駅名が付けられている。また、建設時の仮称は「印旛松虫駅」だった。
外部リンク
編集脚注
編集- ^ a b c “デジタルミュージアム『日本博覧図』~摩尼珠山松虫寺境内全図”. www.chiba-muse.or.jp. 千葉県立中央博物館. 2022年3月6日閲覧。
- ^ 佐倉市教育委員会編『佐倉文庫第二集 佐倉風土記』佐倉市教育委員会、1974年3月、53頁。
- ^ a b 赤松宗旦著・柳田国男校訂『利根川図志』岩波書店、1938年11月、209頁。
- ^ “印西市 摩尼珠山 医王院 松虫寺”. 印西市 摩尼珠山 医王院 松虫寺. 2022年3月6日閲覧。
- ^ 赤松宗旦著・柳田国男校訂『利根川図志』岩波書店、1938年11月、209頁。
- ^ 千葉県. “鋳銅孔雀文磬”. 千葉県. 2022年3月6日閲覧。