松田正之
松田 正之(まつだ まさゆき、1892年(明治25年)11月2日 - 1976年(昭和51年)5月2日[1])は、日本の逓信・拓務官僚、政治家。南洋庁長官、貴族院男爵議員。旧名・定之助[2]。
松田正之 まつだ まさゆき | |
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生年月日 | 1892年11月2日 |
出生地 | 日本 東京府(現東京都) |
没年月日 | 1976年5月2日(83歳没) |
出身校 |
京都帝国大学法科大学政治学科 (現京都大学法学部) |
前職 | 朝鮮総督府専売局長 |
配偶者 | 蜂須賀笛子 |
親族 |
養父・松田正久(衆議院議長) 伯父・久我通久(貴族院議員) 叔父・伊達宗陳(貴族院議員) 叔父・有馬頼之(貴族院議員) 兄・有馬頼寧(農林大臣) 兄・安藤信昭(貴族院議員) 義兄・奥平昌恭(貴族院議員) 義弟・稲田昌植(貴族院議員) |
在任期間 | 1934年12月8日 - 1947年5月2日 |
経歴
編集東京府出身。有馬頼萬の三男として生まれ[1]、松田正久の養子となる[3]。養父の死去により、1915年9月1日、男爵を襲爵[4]。学習院を経て、1916年7月、京都帝国大学法科大学政治学科を卒業。1917年3月、帝室博物館属となり、1920年6月まで在任[3]。
1920年10月、高等試験行政科試験に合格し、同年11月、逓信局書記兼逓信属となる。以後、同事務官、地方海員審判所審判官兼逓信局事務官、兼逓信省事務官などを歴任。1923年4月、拓務事務局書記官兼内閣書記官に転じた。その後、内閣拓殖局書記官、拓務書記官・管理局第一課長を務め、1931年11月に辞職[3]。1932年2月、南洋庁長官に就任。1933年8月、朝鮮総督府専売局長に転じた。1934年11月、依願免本官となり退官した[3]。
1934年12月8日、貴族院議員補欠選挙に当選し、貴族院男爵議員に就任し[5]、1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した[6]。この間、小磯内閣外務政務次官などを務めた。
その他、昭和鉱業監査役、水産化学工業監査役、アマゾニア産業監査役、南洋アルミニューム会長などを務め[2]、第二次世界大戦後は東京慈恵会理事、東京慈恵会医科大学理事を務めた[7]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『南洋資料』第312号「南洋廰歴代長官名簿及略歴」、南洋経済研究所、1943年。
日本の爵位 | ||
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先代 松田正久 |
男爵 松田(正久)家第2代 1915年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |