松永 二三男(まつなが ふみお、1951年4月18日[1] - )は、日本フリーアナウンサー[1]。元日本テレビアナウンサー[1]

まつなが ふみお
松永 二三男
プロフィール
出身地 日本の旗 日本新潟県見附市[1]
生年月日 (1951-04-18) 1951年4月18日(73歳)[1]
最終学歴 明治大学政治経済学部政治学科[1]
所属事務所 ヤマタネエンタテインメント
職歴日本テレビアナウンサー
同 事業局ビジネス事業部
同 テレビコンテンツ事業局企画開発担当部
活動期間 局アナ:1974年- 2003年
フリー:2011年 -
ジャンル 全般
出演番組・活動
出演中松永二三男の夕ラジ
出演経歴独占!!スポーツ情報
NNNきょうの出来事
ルックルックこんにちは
壮絶バトル!花の芸能界』 など

経歴

編集

新潟県見附市生まれ[1]見附市立見附中学校[2]新潟県立長岡高等学校明治大学政治経済学部政治学科卒業[1]1974年アナウンサーとして日本テレビに入社[1]。同期には楠田枝里子がいる。

初レギュラーは『おはよう!こどもショー』の「実況中継のお兄さん」。入社当初はスポーツ中継を主に担当し『全日本プロレス中継』(ジャイアント馬場ジャンボ鶴田らの試合)の実況、『独占!!スポーツ情報』の初代司会[3]。スポーツ中継から退いた1990年代以降はバラエティ番組の司会や報道番組のキャスターとしても活動した。

1983年から約3年イギリスBBCの海外放送本部日本語部部員として赴任[1]

1987年イタリアローマで開催された第2回世界陸上競技選手権の女子走高跳で、ステフカ・コスタディノヴァ  ブルガリア)が当時の世界新記録(2m09)を達成した場面やカール・ルイスセルゲイ・ブブカらの実況を担当したり、事前取材などを務めた[3]

1988年ソウルオリンピックではジャパンコンソーシアムの実況メンバーに選ばれた。レスリングでは日本選手が金メダル2個獲得したが、いずれの試合も実況を務めた。また、男子マラソン、重量挙げ、ボクシングの実況も担当した[3]

2003年にコンテンツ事業局ビジネス事業部へ異動[1]。企画開発担当部長、副参与を歴任[1]

2011年、60歳を迎え日本テレビを定年退職し、フリーとなる[1]

2014年4月、北野大の紹介で淑徳大学人文学部表現学科教授に就任[4][5]し、約4年間放送表現の講義を担当した[6]

人物

編集

趣味は映画・演劇の鑑賞[5]

1964年、見附中学1年の時に地元で新潟地震に遭遇した。

1980年5月2日倉持隆夫アブドーラ・ザ・ブッチャーVSザ・シークにおいて、シークに額を切り裂かれ実況不能となるという前代未聞のアクシデントが起こった際、リングサイドリポーターであった松永がインタビュー用のマイクを使用して実況を引き継いだ。倉持がシークに襲われた瞬間、松永は「倉持アナウンサーの額が割れた!」と絶叫している(試合は未放送)[7]。後に松永は、「ブッチャーVSシークをそのまま放送していたら全日本プロレス中継の番組存続の危機だった」と語っている[7]。松永は「'83世界最強タッグ決定リーグ戦」まで『全日本プロレス中継』の実況を担当した。

アナウンス副部長時代に『スーパージョッキー』の「熱湯コマーシャル」出演時、かつての部下である大神いずみ水着になるのを拒否して泣き出した時、「私が代わりにやります!」と藤井恒久金子茂の3名で代役を引き受けた[8]

楠田枝里子をよく知る人物として、楠田が取り上げられた『中居正広の金曜日のスマたちへ』「金スマ波瀾万丈」(2010年1月29日放送)にVTR出演した。

フリー転身後の2011年6月からは、八神純子の日本凱旋公演の司会・総合プロデュースを務めた[9]。また、2012年4月からは『ラジオ日本ジャイアンツナイター』のない日曜に冠番組『松永二三男の夕ラジ』を担当した。

出演番組

編集

出演映画

編集

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 松永二三男:株式会社ヤマタネエンタテインメント
  2. ^ 平成23年度東京同窓会「絆-繋ぐ、繋がる、悠久の同志」リポート | 長岡中学・長岡高等学校 東京同窓会
  3. ^ a b c 明治大学校友会富山県支部総会・公開講演会開催「講師プロフィール・松永二三男」”. 2014年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月18日閲覧。
  4. ^ T-209 松永二三男、元日本テレビのアナウンサー、30年間を語る。 アーカイブ 2016年3月4日 - ウェイバックマシン 2013年, 淑徳大学
  5. ^ a b 表現学科松永 二三男(まつなが ふみお)教授 人文学部 淑徳大学
  6. ^ 松永二三男『ルックルックこんにちは』を振り返り、「20年は続けたかった」”. 週刊女性PRIME. 2022年8月9日閲覧。
  7. ^ a b c 『日本プロレス事件史 Vol.2』P62 - P65(2014年、ベースボール・マガジン社ISBN 9784583621876
  8. ^ 1997年3月17日 日刊スポーツなど各スポーツ紙芸能面、同日産経新聞メディア欄などより。
  9. ^ SHIBUYA-AX Special Live ブルースカイオーケストラ創立77周年特別企画 BIG BAND × BIG SINGER『BLUESKY PLAYS“J ”』(ラジオ日本ホームページ)

関連項目

編集

外部リンク

編集