松枝 茂夫(まつえだ しげお、1905年9月25日 - 1995年9月23日)は、日本中国文学者東京都立大学名誉教授。

松枝 茂夫まつえだ しげお
人物情報
生誕 (1905-09-25) 1905年9月25日
日本の旗 日本佐賀県西松浦郡有田町
死没 1995年9月23日(1995-09-23)(89歳没)
出身校 東京帝国大学
子供 松枝到(文化史学者)
学問
研究分野 中国文学
研究機関 東京都立大学
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経歴

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1905年、佐賀県西松浦郡有田町に生まれた[1]。幼時から母方の姓である松枝を名乗った。東京帝国大学支那文学科でまなび、竹内好武田泰淳増田渉周作人らと親交を結んだ。1930年、東京帝国大学を卒業。

1939年、九州帝国大学専任講師に採用。1941年、助教授に昇進。1940年から岩波文庫で『紅楼夢』の刊行を始めるが、3冊を刊行したところで戦争のため中止となった。

戦後の1947年、東京大学文学部助教授となったが、翌1948年に妻の病没に衝撃を受けて退職し、九州へ戻った。1950年、小倉市北九州外国語大学教授となり、1951年には『紅楼夢』の訳を完成させた。1952年、東京都立大学教授となり、また再婚した。1969年に東京都立大学を定年退職し、名誉教授となった。その後は早稲田大学教授として教鞭を執った。1976年、早稲田大学を定年退職。1985年に『紅楼夢』の改訳版を完結刊行した。

研究内容・業績

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  • 戦争による中断もはさみ、『紅楼夢』全邦訳を完成させた[2]

家族・親族

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  • 子:松枝到(1953~2023)は文化史学者。再婚した妻との間の子。

著作

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著書

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1は「紅楼夢ほか 作品論」。2は「周作人ほか 作家・研究者論」

訳書

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周作人関連

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  • 『周作人随筆集』周作人 改造社 1938
  • 『中国新文学之源流』周作人 支那学翻訳叢書 文求堂 1939
  • 『瓜豆集』周作人 創元社 1940
  • 『周作人文芸随筆抄』冨山房百科文庫 1940
  • 『文芸論集』周作人 生活社 1940
  • 『結縁豆』周作人 実業之日本社 1944

参考資料

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  • 『松枝茂夫文集』附載年譜
  • 中村みどり2019「戦時における日中研究者のつながり─松枝茂夫宛陶晶孫関連書簡二通について」『文化論集』55[3]

脚注

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  1. ^ 松枝 茂夫 コトバンク 2023年3月22日閲覧。
  2. ^ 紅学について
  3. ^ 『文化論集』55