松本記念音楽迎賓館
松本記念音楽迎賓館(まつもときねんおんがくげいひんかん)は、東京都世田谷区岡本二丁目32番15号(郵便番号157-0076)に所在する、1973年(昭和48年)建築された音楽教育の建造物である。
概要
編集松本記念音楽迎賓館は、パイオニア創業者であり、公益財団法人音楽鑑賞教育振興会の設立者の松本望・千代夫妻の居宅として建築された。2001年(平成13年)、夫妻の遺志を継いで、音楽教育の実践の場にと、一般にも利用できる記念館として開館した[1]。
松本望(まつもと のぞむ 1905(明治38年)- 1988年(昭和63年))は 、キリスト教の牧師の二男として神戸に生まれた。若い時、楽器の音色に興味を覚え、音楽の世界に進むことになる。ある時、アメリカ製のダイナミックスピーカーに出会い、魅了されたことがきっかけで、スピーカーの製作に没頭することになった。1928年(昭和3年)、谷山千代と結婚し、二男四女をもうけた。1937年(昭和12年)、ダイナミックスピーカーの開発に成功した。1938年(昭和13年)、福音商会電機製作所を創設、スピーカーの製造を始める。1941年(昭和16年)、有限会社に改組して社長となる。1947年(昭和22年)、福音電機に改組。1961年(昭和36年)、パイオニア株式会社に改称した。1985年(昭和60年)、セパレート型ステレオやレーザーディスクの開発、商品化に成功した。その後、30年以上にもわたって経営の先頭に立って事業を推進した。また、1967年(昭和42年)、パイオニア音楽鑑賞教育振興会(現・財団法人音楽鑑賞教育振興会)を創設、私財を投じて音楽教育全般の育成に力を注いだ[1][2]。
沿革
編集施設概要
編集- 迎賓館
- 1階 - 玄関ホール、サロン、レセプションルーム、Cホール、展示室、事務室、管理室、厨房、車庫。
- 2階 - Aホール、Bホール、和室、会議室、楽器室、事務室、資料室。
施設利用
編集- 利用時間
- 土・日・祝日 - 午前10時~午後9時
- 平日 - 午後1時~午後9時
- 利用目的
- 関係者のイベント開催
- 演奏会・後援会の開催
- ファンクラブ
- 音楽会や各種催しのお知らせ
- 音楽迎賓館友の会
- 利用者を中心とした組織で、音楽情報の交換、音楽活動の応援、施設の利用促進を目的としている。特典として、施設利用費の減額、会員のリサイタルやコンサートなどが開催できる[3]。
- 「大富豪の邸宅」という設定でテレビドラマの撮影が行われることがある[4]。
楽器・AV機器
編集- 楽器
- パイプオルガン - シューマッハーオルガン(Schumacher Orgelbau ベルギー)
- チェンバロ - クラヴサン工房アダチ
- ピアノ - ベーゼンドルファー(Boesendorfer オーストリー)
- マリンバ - マッサー(Musser アメリカ合衆国)
- ヴィブラフォン - マッサー(Musser アメリカ合衆国)
- AV機器
交通
編集- 鉄道
- 路線バス
ギャラリー
編集-
玄関ホール(2014年1月11日撮影)
-
同左、シャンデリア(2014年1月11日撮影)
-
同左、階段(2014年1月11日撮影)
-
1階サロン(2014年1月11日撮影)
-
2階Bホール(2014年1月11日撮影)
-
庭園(2014年1月11日撮影)
脚注
編集- ^ a b c 『松本記念音楽迎賓館』インフォメーション
- ^ a b 『コトバンク』20世紀日本人名事典、朝日新聞社 松本 望(マツモト ノゾム)
- ^ a b 『松本記念音楽迎賓館』施設の案内
- ^ 野村宏平 (2021年7月18日). “東京23区の鉄道空白地帯――別名「世田谷の秘境」には一体何があるのか?”. Urban Life Metro. 2021年7月18日閲覧。
- ^ 『松本記念音楽迎賓館』楽器およびAV機器仕様
参考文献
編集- 『ビジネスマンへの提言 成功と人生への指針』「仕事も遊びものびのびと パイオニア社長 松本望」永田久光編、1921年
- 『音に挑戦する企業 パイオニア』「音を創る仕事は無限だ 松本望」実業之日本社、1963年
- 『精鋭企業の秘密 生きて話す商品』「音を創って30年 パイオニアと松本望」エリート研究会編、1964年
- 『コトバンク』「松本望」20世紀日本人名事典、朝日新聞社 松本 望(マツモト ノゾム)。
関連項目
編集外部リンク
編集座標: 北緯35度37分23.7秒 東経139度36分59.4秒 / 北緯35.623250度 東経139.616500度