松本創

日本のノンフィクション作家

松本 創(まつもと はじむ、1970年 - )は、日本ノンフィクション作家[1]フリーランスライター[2]編集者[3]

まつもと はじむ

松本 創
生誕 1970年(53 - 54歳)
大阪府
国籍 日本の旗 日本
出身校 同志社大学経済学部
職業神戸新聞記者
ジャーナリスト
活動期間 1992年 -
受賞 日本ジャーナリスト会議賞(2016年)
講談社本田靖春ノンフィクション賞(2019年)
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人物・来歴

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大阪府生まれ[2][4]。少年期を吹田市豊中市仙台市青森市で過ごし[5]、高校は函館市函館ラ・サール高等学校で寮生活を経験した[4][6][7]

1992年3月、同志社大学経済学部卒業[8][9]。同年4月、神戸新聞社に就職[10][2]。記者として、阪神・淡路大震災の取材、支局勤務、兵庫県庁の取材、整理部などを経験し[1]2006年3月に退社した[3]

退社後は、フリーランスとして関西を中心に様々な媒体に寄稿するようになった[2]

2016年には、『誰が「橋下徹」をつくったか―大阪都構想とメディアの迷走』が日本ジャーナリスト会議賞を受賞し[2]、広く知られるようになった[11]2019年には、『軌道―福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』が講談社本田靖春ノンフィクション賞井植文化賞を受賞した[2]

著書

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  • 『誰が「橋下徹」をつくったか 大阪都構想とメディアの迷走』140B, 2015.11
  • 『日本人のひたむきな生き方』講談社, 2015.7
  • 『軌道 福知山線脱線事故JR西日本を変えた闘い』東洋経済新報社, 2018.4 のち新潮文庫
  • 『地方メディアの逆襲』筑摩書房ちくま新書〉、2021年12月7日。ISBN 978-4480074454 

共編著

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  • 『ふたつの震災 〈1・17〉の神戸から〈3・11〉の東北へ』西岡研介共著. 講談社, 2012.4
  • 『生きるためのサッカー ブラジル、札幌、神戸転がるボールを追いかけて』ネルソン松原著, 松本創 取材・構成, 小笠原博毅 取材・解説. サウダージ・ブックス, 2014.6
  • 『水道筋読本 商店街と市場のある暮らし』慈憲一, 永井和浩共企画・編集. 水道筋商店街協同組合, 2021.2

出演

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映画

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ウェブ番組

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脚注

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  1. ^ a b 真山仁 (2021年5月26日). “ノンフィクションの底力 01〜『軌道』松本創さん 第1回”. 2022年5月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 松本創”. 新潮社. 2022年5月26日閲覧。
  3. ^ a b あの人に迫る 松本創 フリーの編集者・ライター”. 中日新聞社. 2022年5月27日閲覧。
  4. ^ a b 松本創、宮崎亮 (2021年6月27日). “転勤族の父、「創」の名に思い込め”. 朝日新聞社. 2022年5月26日閲覧。
  5. ^ 松本創. “みちのくフード記 第1回 東北の関西人(前編)”. 140B. 2022年5月26日閲覧。
  6. ^ 松本創. “みちのくフード記 第2回 東北の関西人(後編)”. 140B. 2022年5月26日閲覧。
  7. ^ "13年間、現場へ通った彼から聞きたかったこと"|朝山実|note”. note(ノート). 2023年2月6日閲覧。
  8. ^ ジャーナリストの松本創氏がゲストスピーカーとして来学!”. 神戸女学院大学 (2018年7月10日). 2022年5月26日閲覧。
  9. ^ 松本創 フリーの編集者・ライター:中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2023年2月6日閲覧。
  10. ^ 中村陽子 (2018年5月20日). “福知山線事故の遺族が挑んだJR西との「闘い」 異例の出戻り社長との対話が転換点に(2/3ページ)”. 東洋経済オンライン. 2024年7月23日閲覧。
  11. ^ 真山仁 (2021年5月29日). “ノンフィクションの底力 01〜『軌道』松本創さん 第2回”. 2022年5月26日閲覧。 “松本創の名を一躍全国区にした『ダレハシ』こと『誰が「橋下徹」をつくったか ―大阪都構想とメディアの迷走』(140B)も、きっかけは一つの縁だった。”

外部リンク

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