松本 利一(まつもと りいち、1921年6月22日[3] - 戦死)は、岡山県出身のプロ野球選手。ポジションは投手一塁手右翼手

松本 利一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県
生年月日 1921年6月22日
没年月日 戦死
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手一塁手右翼手
プロ入り 1940年
初出場 1940年7月13日[1]
最終出場 1943年11月2日[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

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関西中学校(現・関西高等学校)出身。1940年名古屋金鯱軍へ入団。1940年7月13日阪急戦(後楽園球場)で、長尾貞利内藤幸三の後を受けて3番手投手でプロ初登板[1]。この試合では5回から8回までの4イニングを投げて2失点だったが、7回表のプロ入り初打席でレフト前ヒットを打った。この試合を見ていた、関西中学の先輩でもある 井野川利春(当時の阪急監督)と黒田健吾(当時の阪急主将)に誘われる形で、1940年シーズン終了後阪急軍に移籍。

阪急移籍後にデビュー試合を見て打撃センスを買われたこともあり、一塁手に転向した。移籍初年度の1941年は出場機会がなかったが、1942年終盤より力を付け、1943年シーズンに一塁手のレギュラーを獲得。選手不足だった事情もあって右翼手としても出場した[2]。しかし、1943年シーズン終了後に応召。その後、戦死した(没年月日及び死没場所は不明)。享年22~24。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1940 金鯱 2 3 3 0 1 0 0 0 1 0 0 -- 0 0 0 -- 0 0 -- .333 .333 .333 .666
1942 阪急 2 3 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 -- 0 -- 0 1 -- .333 .333 .333 .666
1943 57 165 154 5 26 4 2 0 34 9 2 0 2 -- 8 -- 1 34 -- .169 .215 .221 .436
通算:3年 61 171 160 5 28 4 2 0 36 9 2 0 2 0 8 -- 1 35 -- .175 .219 .225 .444

年度別投手成績

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W
H
I
P
1940 金鯱 2 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 33 6.1 9 0 5 -- 0 2 0 0 5 5 7.11 2.21
通算:1年 2 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 33 6.1 9 0 5 -- 0 2 0 0 5 5 7.11 2.21

背番号

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  • 14 (1940年)[4]
  • 23 (1941年 - 1943年)[5]

脚注

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関連項目

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