松本典子
松本 典子 (まつもと のりこ、1968年〈昭和43年〉1月30日[3][4] - ) は日本の歌手・女優・コメディエンヌ・タレント・司会者[5]。本名、笘篠 美和子[3](とましの みわこ、旧姓:佐藤[3])。ノーリーズン所属。
まつもと のりこ 松本 典子 | |
---|---|
本名 | 笘篠 美和子(旧姓:佐藤) |
生年月日 | 1968年1月30日(56歳) |
出身地 | 日本・群馬県伊勢崎市[1] |
身長 | 158 cm |
血液型 | B型 |
職業 | 歌手、女優、コメディエンヌ、タレント |
活動期間 | 1985年 - |
配偶者 | 笘篠賢治 |
著名な家族 |
笘篠誠治(義兄) 笘篠ひとみ(姪) 笘篠和馬(甥) |
事務所 | ノーリーズン |
主な作品 | |
志村けんのだいじょうぶだぁ |
プロフィール | |
---|---|
愛称 | のりりん、サミー |
公称サイズ(1984年12月[2]時点) | |
身長/体重 | 157 cm / 44 kg |
BMI | 17.9 |
スリーサイズ | 78 - 57 - 82 cm |
活動 | |
デビュー | 1985年3月21日 |
ジャンル | アイドル歌謡曲 |
活動期間 | 1985年 - |
レーベル |
CBS・ソニー(1985 - 1990年) Sony Records(1991年) |
公式サイト | 松本典子 ソニーミュージックオフィシャルサイト |
受賞歴 |
第27回日本レコード大賞 新人賞(1985年) 第16回日本歌謡大賞 放送音楽新人賞(1985年) 第11回全日本歌謡音楽祭 銀賞(1985年) 第15回銀座音楽祭 グランプリ(1985年) 第18回新宿音楽祭 審査員特別奨励賞(1985年) 第12回横浜音楽祭 新人賞(1985年) '85FNS歌謡祭・音楽大賞 優秀新人賞(1985年) 第11回日本テレビ音楽祭 新人奨励賞(1985年) 第4回メガロポリス歌謡祭 最優秀新人ダイヤモンド賞(1985年) 21世紀ヤング歌謡大賞・新人グランプリ 審査員奨励賞(1985年) |
アイドル: テンプレート - カテゴリ |
概要
編集日本の1980年代アイドル全盛期のさなかの1985年、17歳でアイドル歌手としてレコード・デビューした[3]。いわゆる正統派アイドルであったが、19歳の頃の1987年に放送開始された志村けんのコント番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』に番組開始当初からレギュラー出演した事でお笑いデビューし、コメディエンヌとして主に活躍した[6][7][8]。
来歴
編集生い立ち
編集1968年1月30日、自動車関係の会社員であった父と福祉関係の公務員であった母の下、東京都武蔵野市の病院で生まれる[10]。本名の「美和子」は「美しくいつまでも平和な子であるように」という意味を込めて名付けられたという[11]。3歳の時に当時住んでいた三鷹市から調布市深大寺へ、5歳の時に昭島市へ移った[11]。父の転勤によって中学3年生の時に群馬県伊勢崎市へ転居。中学ではテニス部、転校先ではブラスバンド部に所属した[12]。中学生の時に高校野球が好きになり、野球部のマネージャーに憧れ高校の進学先は共学を目指したが、女子高にも憧れを持ち、結局は制服の可愛さが決め手となって当時女子高だった共愛学園高等学校に入学した[13]。両親からは大学進学を勧められていたが、本人は「早く結婚したかった」という理由で就職希望だったという[14]。
オーディション
編集1984年7月28日に新宿厚生年金会館にて開催された第3回「ミス・セブンティーンコンテスト」(応募総数18万325人[2])の決戦大会にて網浜直子とダブルでグランプリを獲得した[12]。ミス・セブンティーンコンテストは、姉が持って来た雑誌に載っていたもので、姉から勧められたものだった[14]。コンテストにおける審査員面接では、これに落ちたら地方公務員か電話交換手を目指そうと思うと答えたという[15]。ミス・セブンティーン以前にも、石川秀美が優勝した「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」や「ホリプロタレントスカウトキャラバン」、サンミュージックのオーディションを受けていた[16]。サンミュージックのレッスン生同期に桑田靖子が居た[17]。そのレッスン生を途中で辞めさせられるなど、厳格な親であったため芸能活動の理解をなかなか得られなかったが、所属事務所が千昌夫や小林幸子などの有名演歌歌手が所属する事務所に決まったことから両親も芸能界入りを認め、同年10月に専属歌手として契約した[18]。
アイドル時代
編集1985年3月21日、CBS・ソニーから『春色のエアメール』でアイドル歌手としてレコード・デビュー[19]。また、同年公開のシブがき隊主演映画『バロー・ギャングBC』に出演した[3]。ニックネームは「のりりん」の他、本名の佐藤美和子に因む「サミー」[12]などだった。デビュー時のキャッチフレーズは「とどくかな、笑顔。」で、郵政省の「タイムカプセル2001」とタイアップした[20]。松本のプロデュースを担当したのは松田聖子を発掘した若松宗雄で、芸名の「松本典子」は、松田に続く歌手が欲しいという若松の意向で、松田聖子の"松"と"子"、当時のソニー社長の大賀典雄の"典"を取って名付けられた[21]。当時南野陽子の担当ディレクターであった吉田格は、当時のCBS・ソニー社内においては南野が三番手、網浜直子が二番手、そして最も推されていたのが松本であったと語っている[22]。ウォークマンやラジカセなどのソニー製品のカタログのキャラクターとしても起用されていた[23]。
同期デビューは浅香唯、斉藤由貴、森川美穂、中山美穂、本田美奈子、南野陽子などで、アイドルシーン第二次黄金期とも称されるハイレベルな顔ぶれであった[24]。85年の新人賞レースでは中山美穂、本田美奈子、芳本美代子らと激戦を繰り広げ、数多くの新人賞を受賞した[25]。甘いルックスの正統派アイドルであったが、歌声は意外と骨太で、1stアルバム『Straw Hat』のオープニング曲『いっぱいのかすみ草』も名曲との評価が高い[26]。繊細な表現力を発揮し、数多の松田聖子フォロワーのアイドルとは一線を画した[27]。その後バラエティ番組でも活躍したが、アイドル・シンガーとしても大きな足跡を残した[26]。
コント・バラエティでの活躍
編集アイドル活動の傍ら、1986年開始のラジオ番組『キラキラサンデー アイドルじゃじゃうまランド』では、ラジオパーソナリティとして同期の浅香唯と漫才コンビそこのけの軽妙なトークを披露し、正統派アイドルとしてだけではない一面も披露した[8][28]。その多面性を買われ、1987年開始のフジテレビ系のバラエティ番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』にレギュラー出演し、志村けんらと息のあったコントを披露。いしのようこと共に二枚看板となった[6]。『ドリフ大爆笑』『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』など他のコント番組でも本領を発揮した[7]。
結婚・休業後の活動
編集1992年に当時ヤクルトスワローズの内野手だった笘篠賢治と結婚した[3][29]。結婚後は主婦と子育てに専念し原則として休業したが、ときおり本名で夫とトーク番組にゲスト出演したことがあった。
結婚を機に事実上の休業状態だったが、2011年8月に『J-POP青春の'80』収録に出演し、NHK BSプレミアムにて9月8日に放送された。「儀式(セレモニー)」を歌い、19年ぶりに歌手として復帰した。
2013年9月11日に日本テレビの1番ソングSHOW「今いちばん見たい!幻のアイドル大捜索スペシャル!」に出演した。地上波での登場は10年ぶりだった。
2018年4月29日に週刊誌FLASHにて20年ぶりにグラビアに登場した。インタビューの中で「歌は好きなので、また聴かせられたらいいなと思っています。」と答えている[30]。
2019年12月15日に文化放送「スポスタ☆MIX ZONE」に夫と共に出演した。ラジオへの登場は26年ぶりだった[31][32]。
芸能界復帰へ
編集人物
編集家族構成
編集- 3男の母。長男は高校・大学野球選手[34]を経て、現在放送局社員[35]。
- 義理の兄に東北楽天ゴールデンイーグルスコーチの笘篠誠治[36]、姪に元宝塚歌劇団花組娘役の笘篠ひとみ[36]、甥に元ジャニーズJr.の笘篠和馬[36]、従兄弟にinfixのギタリストの佐藤晃がいる。
エピソード
編集1989年4月からニッポン放送で『ラジオビバリー昼ズ』がスタートするのにあたり、メインパーソナリティの高田文夫は、高田曰く「優秀さを買って」自分のアシスタントに松本典子をと伝えていたが、スタッフの単純な聞き間違いもあって、本番直前のスタジオには松本明子が入っており、そのまま松本明子が正式にアシスタントとなった。また、1992年7月から日本テレビでスタートした『進め!電波少年』でも、総合演出の土屋敏男は上司から「(MCは)松本明子と松村邦洋で行け」と言われたが、元々自分の頭の中にはMCのキャスティングとして松本典子が想定にあったと話している[37][38]。以上それぞれ、一字違いの松本明子絡みのエピソードがある。
音楽
編集シングル
編集# | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | オリコン 最高位 |
規格品番 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
CBS・ソニー | ||||||||
1 | 1985年 3月21日 |
A面 | 春色のエアメール | EPO | 大谷和夫 | 28位 | 07SH-1617 | |
B面 | 秘密の17才 | 小坂明子 | 鷺巣詩郎 | |||||
2 | 1985年 6月21日 |
A面 | 青い風のビーチサイド | 麻生圭子 | 岸正之 | 船山基紀 | 30位 | 07SH-1657 |
B面 | ジンジャー | 矢野顕子 | 武部聡志 | |||||
3 | 1985年 9月21日 |
A面 | さよならと言われて | 銀色夏生 | 呉田軽穂 | 松任谷正隆 | 17位 | 07SH-1697 |
B面 | デ・リ・ケ・ー・ト | 麻生圭子 | 後藤次利 | |||||
4 | 1986年 2月26日 |
A面 | 虹色スキャンダル | 湯川れい子 | 久保田利伸 | 中村哲 | 28位 | 07SH-1738 |
B面 | 感性のままに | 千家和也 | 三木たかし | 瀬尾一三 | ||||
5 | 1986年 5月21日 |
A面 | NO WONDER | 沢ちひろ | 芹沢廣明 | 鷺巣詩郎 | 29位 | 07SH-1790 |
B面 | 三枚の写真[39] | 松本隆 | 大野克夫 | 大村雅朗 | ||||
6 | 1986年 10月1日 |
A面 | 儀式(セレモニー) | 中島みゆき | 戸塚修 | 37位 | 07SH-1823 | |
B面 | 秋桜化粧 | 荒木とよひさ | 三木たかし | |||||
7 | 1987年 4月22日 |
A面 | KEEP ME HANGIN' ON 〜誘惑を抱きしめて〜[40] | 森浩美 | E.Holland L.Dozier B.Holland |
加藤道明 | 56位 | 07SH-1912 |
B面 | パステル・ラブ[41] | 尾崎亜美 | 戸塚修 | |||||
8 | 1988年 2月26日 |
A面 | 今夜はパラダイス | 岩室先子 | 羽田一郎 | 水谷公生 | 84位 | 07SH-3013 |
B面 | P・Rondo | 和泉一弥 | ||||||
9 | 1988年 10月23日 |
A面 | 雨と水曜日 | 小林由美子 麻生圭子 |
羽田一郎 | 水谷公生 | 46位 | 07SH-3130 |
B面 | 想いの破片 | 来生えつこ | 来生たかお | 星勝 | ||||
10 | 1989年 6月21日 |
01 | 天使が棲む島 | 麻生圭子 | 中崎英也 | 84位 | 10EH-3293 | |
02 | 夜明けまでのマーメイド | |||||||
11 | 1989年 12月1日 |
01 | 初恋十二単 | 麻生圭子 | 中崎英也 | 戸塚修 | - | CSDL-3038 |
02 | 春から小町 | |||||||
12 | 1990年 10月1日 |
01 | たったひとりの恋人 | 麻生圭子 | 中崎英也 | CSDL-3166 | ||
02 | 想い出にしたかった | 中崎英也 | ||||||
Sony Records | ||||||||
13 | 1991年 9月1日 |
01 | Kissが届かない | 松本典子 | MAYUMI | 山川恵津子 | - | SRDL-3346 |
02 | 今夜も眠れない |
アルバム
編集オリジナル・アルバム
編集- SIDE A
- KIWI PARADISE
- TWO'S SUMMER
- SHADOW'86
- 作詞:沢ちひろ/作曲:芹澤廣明/編曲:鷺巣詩郎
- SILENT STARS〜星空のアリバイ〜
- 作詞:麻生圭子/作曲:佐藤健/編曲:大村雅朗
- WHEN YOU SAY GOOD-BYE〜さよならと言われて〜
- SIDE B
- THIS COOL〜冷たい雨〜
- NO WONDER
- 作詞:沢ちひろ/作曲:芹澤廣明/編曲:鷺巣詩郎
- DELICATE〜デ・リ・ケ・ー・ト〜
- 作詞:麻生圭子/作曲・編曲:後藤次利
- ROMAN WALK
- 作詞:沢ちひろ/作曲:THE BADGE/編曲:西村麻聡
- SEASON WIND
- 作詞:沢ちひろ/作曲・編曲:大村雅朗
- 以降は、CD版にのみ収録されたボーナストラック。
- THIS COOL(SPECIAL ENGLISH VERSION)
- KIWI PARADISE(SPECIAL ENGLISH VERSION)
- たったひとりの恋人
- 作詞:麻生圭子/作曲・編曲:中崎英也
- 天使が棲む島
- 作詞:麻生圭子/作曲・編曲:中崎英也
- 瞳の中のブルー
- 作詞:立小川昌子/作曲:渚十吾/編曲:田代修二
- 雨と水曜日〜Album Version〜
- 作詞:小林由美子/作曲:羽田一郎/編曲:田代修二
- かなしいことり
- 作詞・作曲:銀色夏生/編曲:田代修二
- ※原曲歌唱:斉藤由貴
- 想い出にしたかった
- 作詞・作曲・編曲:中崎英也
- ジャスミン半島
- 作詞:麻生圭子/作曲:NOBODY/編曲:田代修二
- 想いの破片
- 初恋十二単
- 作詞:麻生圭子/作曲:中崎英也/編曲:戸塚修
- Memories
- 作詞:佐藤美和子/作曲:柴矢俊彦/編曲:田代修二
- 以降は、CD版にのみ収録されたボーナストラック。
- 雨と水曜日
- 作詞:小林由美子/作曲:羽田一郎/編曲:水谷公生
- 夜明けまでのマーメイド
- 作詞:麻生圭子/作曲・編曲:中崎英也
- 春から小町
- 作詞:麻生圭子/作曲:中崎英也/編曲:戸塚修
ミニ・アルバム
編集- 1. 「Bellflower」(1985年12月8日/20AH-1968)
- SIDE A
- さよならと言われて
- 作詞:銀色夏生/作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆
- 硝子のアジアンタム
- 作詞:松井五郎/作曲:来生たかお/編曲:大村雅朗
- 青い風のビーチサイド
- 作詞:麻生圭子/作曲:岸正之/編曲:船山基紀
- SIDE B
- 春色のエアメール
- 作詞・作曲:EPO/編曲:大谷和夫
- いっぱいのかすみ草
- 作詞:麻生圭子/作曲:柴矢俊彦/編曲:丸山恵市
- 2. 「COSMOS LANE」(1986年12月1日/20AH-2124)
ベスト・アルバム
編集枚 | 発売日 | タイトル | 規格品番 | オリコン最高位 |
---|---|---|---|---|
CBSソニー | ||||
1st | 1988年7月21日 | My flavor | 15EH-8036 | 圏外 |
Sony Music Entertainment (Japan) Inc. | ||||
2nd | 1999年9月22日 | GOLDEN J-POP/THE BEST 松本典子 | SRCL-4627 | 圏外 |
3rd | 2002年10月9日 | DREAM PRICE 1000 松本典子 春色のエアメール | MHCL-145 | |
Sony Music Direct / GT music | ||||
4th | 2003年12月3日 | アイドル・ミラクルバイブルシリーズ松本典子 THE BEST Purity | MHCL-330/1 | 圏外 |
Sony Music Direct / オーダーメイドファクトリー | ||||
5th | 2016年3月25日 | 松本典子 GOLDEN☆BEST -Limited- | DQCL-576 | 圏外 |
Sony Music Direct / GT music | ||||
6th | 2017年4月26日 | GOLDEN☆BEST 松本典子 -All Single Collection- | MHCL-30452/3 | 圏外 |
ライブビデオ
編集枚 | 発売日 | タイトル | ||
---|---|---|---|---|
CBSソニー | ||||
1st | 1986年 | NORIKO MATSUMOTO LIVE '86 MAIDEN VOYAGE | ||
2012年7月9日 |
タイアップ曲
編集楽曲 | タイアップ | 収録作品 |
---|---|---|
春色のエアメール | 郵政省『ポストカプセル2001』キャンペーンソング | シングル「春色のエアメール」 |
さよならと言われて | SONY 『ラジオカセットCFS-W90』CMソング | シングル「さよならを言われて」 |
感性のままに | 東映映画『ザ・サムライ』挿入歌 | シングル「虹色スキャンダル」 |
NO WONDER | KCBエースフル『サワーロイヤル』CMイメージソング | シングル「NO WONDER」 |
パステル・ラブ | サン・ジョルディの日 キャンペーン・イメージ・ソング | シングル「KEEP ME HANGIN' ON〜誘惑を抱きしめて〜」 |
今夜はパラダイス | フジテレビ系『志村けんのだいじょうぶだぁ』エンディングテーマ | シングル「今夜はパラダイス」 |
雨と水曜日 | 郵政省『ふみの日』キャンペーンソング | シングル「雨と水曜日」 |
フジテレビ系『志村けんのだいじょうぶだぁ』エンディングテーマ | ||
天使が棲む島 | フジテレビ系『志村けんのだいじょうぶだぁ』エンディングテーマ | シングル「天使が棲む島」 |
初恋十二単 | 郵政省『年賀はがき』キャンペーンソング | シングル「初恋十二単」 |
フジテレビ系『志村けんのだいじょうぶだぁ』エンディングテーマ |
出演作品
編集映画
編集- バロー・ギャングBC(1985年)
- ザ・サムライ(1986年)
- 文学賞殺人事件 大いなる助走(1989年)
テレビドラマ
編集- 未亡人は17歳(1987年、フジテレビ)
- セーラー服露天風呂卒業旅行(1987年、フジテレビ)
- 同級生は13歳[45](1987年、フジテレビ) - 崎山 良枝 役
- イキのいい奴(1987年、NHK総合)
- オレの妹急上昇(1987年 - 1988年、フジテレビ)
- 裸の大将 清のくれた幸せの星砂(1988年、関西テレビ) - 涼子 役
- キャッツ・アイ ミッドナイトは恋のアバンチュール(1988年、日本テレビ) - ゆかり 役
- Dr.クマひげ(1989年 - 1990年、テレビ朝日)
- 花ふぶき女スリ三姉妹III(1989年、テレビ朝日)
- 一枚の写真(1989年、フジテレビ)
- JOCX-TV PLUS「新入社員物語 オフィスティケイテッドレディース」(1990年、フジテレビ)
- 女動物医事件簿(1990年 - 1991年、日本テレビ) - 牧ユカリ 役
テレビ番組
編集- 8時だョ!全員集合(TBS)
- 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(TBS)
- クイズダービー(TBS)
- わくわく動物ランド(TBS)
- クイズこれはウマい!(TBS)
- すてきな出逢い いい朝8時(毎日放送(TBS系列))
- ドリフ大爆笑(フジテレビ)
- 志村けんのバカ殿様(フジテレビ)
- 志村けんのだいじょうぶだぁ(フジテレビ、1987年11月 - 1992年12月出演)
- 夜のヒットスタジオDELUXE(フジテレビ)「志村けんのだいじょうぶだぁ」での「ウンジャラゲ」メンバーとして
- 年末年始ホテル物語 懲りない客たち大集合!(1988年、TBS)
- 所さんのもしも突撃隊!!(テレビ東京)
- クイズ!年の差なんて(フジテレビ)
- オールスター感謝祭(TBS)
ラジオ番組
編集- ジョイフルポップ (1989年4月 - 1990年3月、NHK-FM、太川陽介と共演、水曜)
- FMシアター(NHK-FM)
- 「石を積む」(1987年9月5日、ラジオドラマ)
- 「群ら雲の村の物語」(1988年3月5日、ラジオドラマ)
- 「夾竹桃同窓会」(1989年9月2日、ラジオドラマ)
- にんじん姫のサラダ注意報 (文化放送制作による番版番組、各地方局ネット、文化放送では最後まで放送されておらず裏送り[46])
- キラキラサンデー アイドルじゃじゃうまランド (文化放送、浅香唯と共演)[4]
- ひみつのエアメール (ニッポン放送SONY Night Square)[4]
- 典子のおちゃめなシンデレラ (FM愛知)
CM
編集著書
編集- 『にんじん倶楽部』近代映画社、1986年11月10日。
写真集
編集- 野村誠一 撮影『まっ赤に直射 : 松本典子写真集』ワニブックス、1987年6月5日。
脚注
編集- ^ 公式プロフィール (所属事務所「noReason」内)
- ^ a b 『BOMB』1984年12月号、学習研究社、88頁。
- ^ a b c d e f 日外アソシエーツ 1995, p. 801.
- ^ a b c 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、142頁。
- ^ “松本典子”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2024年5月3日閲覧。
- ^ a b 「聖子! 伊代! りえ! コント番組で活躍したアイドルたち」『80年代アイドルカルチャーガイド』洋泉社、2013年10月26日、98-99頁。ISBN 978-4-8003-0227-4。
- ^ a b 『週刊プレイボーイ』2015年1月26日号, p. 112.
- ^ a b 「ドラマはしっかり者、バラエティーは三枚目で月曜の夜を独占 この秋注目の多角的アイドル・松本典子の「両方、地です」」『週刊読売』1987年11月15日号、読売新聞社、16-17頁。
- ^ a b “《松本典子が芸能界復帰》志村けんさんへの感謝と後悔を語る “変顔コント”でファン離れも「あのとき断っていたらアイドルも続いていなかった」”. NEWS ポストセブン. 小学館 (2024年3月28日). 2024年5月3日閲覧。
- ^ 『BOMB!』1985年11月号, p. 28.
- ^ a b 『BOMB!』1985年11月号, p. 36.
- ^ a b c 『BOMB!』1985年11月号, p. 37.
- ^ 『BOMB!』1985年11月号, p. 33.
- ^ a b 『BOMB!』1985年11月号, p. 34.
- ^ 『BOMB!』1985年11月号, p. 35.
- ^ にんじん倶楽部 1986, pp. 28–29.
- ^ にんじん倶楽部 1986, p. 29.
- ^ にんじん倶楽部 1986, p. 39.
- ^ 小池聰行 編『オリコン年鑑'86―歌謡音楽のすべて』オリジナルコンフィデンス、1986年5月1日、223頁。ISBN 4-87131-017-5。
- ^ 『BOMB!』1985年11月号, p. 45.
- ^ にんじん倶楽部 1986, p. 44.
- ^ 『週刊プレイボーイ』2015年1月26日号, p. 120.
- ^ 「カセットコーダー / ラジオカセット 1985年11月」『ソニー坊やと呼ばれた男』2021年11月2日。2024年7月6日閲覧。
- ^ BOMBアイドル30年読本 2010, pp. 59–60.
- ^ 「特集・'85新人賞レースを総括する!美代子・美奈子・典子・美穂が大活躍!激戦に次ぐ激戦。新しいアイドルが続々誕生だ!」『BOMB』1986年2月号、学習研究社、190-191頁。
- ^ a b BOMBアイドル30年読本 2010, p. 59.
- ^ 真鍋公彦・宝泉薫・松井敏夫 編『80'sアイドルライナーノーツ』JICC出版局、1991年2月15日、99頁。ISBN 4-7966-0074-4。
- ^ 「浅香唯 INTERVIEW 放送禁止用語はなし、教祖様のいいたい放題 文化放送「アイドルじゃじゃうまランド」」『月刊ラジオパラダイス』1987年10月号、三才ブックス、8-9頁。
- ^ “3児の母…松本典子が19年ぶりに歌手復帰 - 音楽ニュース”. nikkansports.com. 2021年9月2日閲覧。
- ^ “松本典子 20年ぶりのグラビア撮影で「また歌を聴かせられたら」”. FLASH. (2018年4月29日) 2018年4月29日閲覧。
- ^ 元アイドル・松本典子 夫・笘篠賢治氏と26年ぶりのメディア共演 結婚の裏話など語る スポーツニッポン2019年12月12日
- ^ アスリートの妻とアイドルの夫のすべて明かして、だいじょうぶだぁ!スペシャル~!! 番組ブログ2019年12月15日
- ^ "85年組の56歳元アイドル、今年から芸能活動再開で保育園勤務との二刀流、夫は元プロ野球選手". 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社. 19 November 2024. 2024年11月19日閲覧。
- ^ 笘篠母・松本典子さん応援席でエール デイリースポーツ、2012年7月14日、2019年12月1日閲覧
- ^ マイナビ2020・入社してから成長が止まらない ! それぞれの役割で活躍中の三人 - マイナビ(テレビ新広島)。2019年6月30日更新。
- ^ a b c “楽天・笘篠Cの娘、姫歌ひな乃退団”. デイリースポーツ online. 神戸新聞社 (2015年10月2日). 2023年6月5日閲覧。
- ^ “ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」30周年イベント大盛況”. ニッポン放送NEWS ON LINE. ニッポン放送 (2019年3月18日). 2024年2月11日閲覧。
- ^ 昭和50年男(株式会社ヘリテージ)2024年3月号「土屋敏男のテレビの記憶」(高田文夫との対談)p.121
- ^ 三木聖子の同名曲のカバー。
- ^ スプリームスの「You Keep Me Hangin' On」の日本語カバー。
- ^ 金井夕子の同名曲のカバー。
- ^ 2010年11月27日にCD版がリリースされた(規格品番:DYCL-244)。
- ^ 2012年10月10日にCD版がリリースされた(規格品番:DYCL-419)。
- ^ 2013年2月21日にCD版がリリースされた(規格品番:DYCL-467)。
- ^ 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.73.
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1989年7月号「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」p.64
参考文献
編集- 松本典子『にんじん倶楽部』近代映画社、1986年11月10日。ISBN 4-7648-1372-6。
- 日外アソシエーツ 編『テレビ・タレント人名事典 第2版』日外アソシエーツ、1995年7月27日。ISBN 4-8169-1315-7。C0574。
- 『BOMBアイドル30年読本』学研パブリッシング〈GAKKEN MOOK〉、2010年3月25日。ISBN 978-4-05-605882-6。C9472。
- 「巻頭大特集 松本典子 聖・典子学園」『BOMB!』1985年11月号、学習研究社、1985年11月1日、21-51頁。
- 「1985年組アイドル大名鑑」『週刊プレイボーイ』2015年1月26日号、集英社、2015年1月5日、107-120頁。