松平頼道
江戸時代中期の大名。宍戸藩第2代藩主
松平 頼道(まつだいら よりみち)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。常陸国宍戸藩2代藩主。官位は従五位下・筑後守。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 明暦3年3月20日(1657年5月3日) |
死没 | 享保6年6月3日(1721年6月27日) |
戒名 | 住禅院殿定誉諦真道鏡大居士 |
墓所 | 茨城県常陸太田市の瑞龍山 |
官位 | 従五位下、筑後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
藩 | 常陸宍戸藩主 |
氏族 | 松平求馬家→宍戸松平家 |
父母 |
父:松平頼利、母:伽治 養父:松平頼雄 |
兄弟 | 夜遠姫、与津姫、頼道、総姫 |
妻 | 正室:於愛 |
子 | 頼慶、染 |
生涯
編集水戸藩主徳川頼房の六男松平頼利の長男として誕生。母は上杉憲国の娘伽治。
貞享4年(1687年)8月、先代藩主で叔父の頼雄に嗣子が無かったため、その養嗣子となり、元禄10年(1697年)に頼雄の死去により跡を継ぐ。享保6年(1721年)6月3日に65歳で死去し、跡を長男・頼慶が継いだ。法号は住禅院殿定誉諦真道鏡大居士。墓所は茨城県常陸太田市の瑞龍山。