松平親善
竹谷松平家当主
松平 親善(まつだいら ちかよし)は、戦国時代の武将。竹谷松平家3代当主。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 文明17年(1485年) |
死没 | 享禄4年3月13日(1531年3月31日) |
別名 | 通称:与二郎、玄蕃允 |
戒名 | 延常院殿久岸全長大禅定門 |
墓所 | 金海山全保寺(愛知県蒲郡市竹谷町) |
氏族 | 竹谷松平家 |
父母 | 父:松平守親 |
子 | 清善 |
略歴
編集文明17年(1485年)、松平守親の長男として誕生。通称は与二郎、玄蕃允。
初代・守家から3代・親善に至るまで、松平宗家の親忠から清康に歴仕して、軍忠を励ました。
享禄4年(1531年)、死去。享年47。墓所は竹谷の龍台院(現在の金海山全保寺)。法名は「延常院殿久岸全長大禅定門」。 塩津中学校グラウンドの西側に初代・守家、2代・守家、3代・親善、4代・清善の墓がある。
跡を子・清善が継いだ。
系譜
編集参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜 第一輯』巻第二十一(国民図書、1922年)