松平綱賢
江戸時代前期の越後高田藩の世嗣。従四位下・侍従、下野守、左近衛権少将。松平光長の嫡男
松平 綱賢(まつだいら つなかた)は、江戸時代前期の武士。越後国高田藩の世嗣。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永10年3月11日(1633年4月19日) |
死没 | 延宝2年1月30日(1674年3月7日) |
改名 | 徳千代(幼名)、綱賢 |
戒名 | 源剛院殿 |
墓所 | 新潟県上越市の林泉寺 |
官位 | 従四位下侍従、下野守、左近衛権少将 |
藩 | 越後高田藩世嗣 |
氏族 | 越前松平宗家 |
父母 | 松平光長、登佐姫 |
兄弟 | 綱賢、国姫、稲姫 |
妻 | 梅姫 |
略歴
編集寛永10年(1633年)3月11日、松平光長の嫡男として生まれる。母は萩藩主毛利秀就の長女・登佐姫。幼名は徳千代。
征夷大将軍徳川家綱から偏諱を賜って綱賢に改名。延宝2年(1674年)1月30日、高田城において42歳で死去。世嗣には叔父永見長頼の嫡男綱国が養子として迎えられた。綱賢の死によって越後騒動が勃発し高田藩が改易となる。
系譜
編集- 正室:梅姫(豊光院) - 九条道房三女