松平知豊
松平 知豊(まつだいら ともとよ)は、江戸時代後期の武蔵国川越藩の世嗣。官位は従五位下・大隅守。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明7年6月1日(1787年7月15日) |
死没 | 文化元年7月3日(1804年8月8日) |
戒名 | 大応院 |
墓所 | 泰宗寺(結城松平家合葬) |
官位 | 従五位下大隅守 |
藩 | 武蔵川越藩世嗣 |
氏族 | 結城松平家 |
父母 | 松平直恒 |
兄弟 | 知豊、兼子、直温、斉典、朝蟻、磯子、絹、岸、季遠姫、可寛 |
妻 | 松平康哉娘 |
略歴
編集天明7年(1787年)、2代藩主・松平直恒の長男として誕生。正室は松平康哉娘。
元服して、曽祖父・義知(よしちか、明矩の初名)より1字を取り知豊と名乗る。享和3年(1803年)、11代将軍・徳川家斉に初御目見し叙任するが、文化元年(1804年)に早世した。代わって、弟・直温が嫡子となり家督を継いだ。