松平忠淳
日本の江戸時代の大名
松平 忠淳(まつだいら ただあつ)は、江戸時代後期の大名。肥前国島原藩主。深溝松平家16代当主。官位は従五位下・主殿頭。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天保12年7月20日(1841年9月5日) |
死没 | 万延元年6月2日(1860年7月19日) |
別名 | 主馬(通称) |
戒名 | 慈篤院殿大機源昌大居士神祇 |
墓所 | 愛知県額田郡幸田町深溝の本光寺 |
官位 | 従五位下・主殿頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶、家定、家茂 |
藩 | 肥前島原藩主 |
氏族 | 宇和島伊達家、深溝松平家 |
父母 | 伊達宗紀、松平忠精 |
兄弟 |
徳千代、喜、就、長、貞、伊達宗徳、信、篤之助、忠淳、 正子(松平忠精正室)、節子ら |
子 | 忠愛 |
略歴
編集天保12年(1841年)7月20日、伊予国宇和島藩7代藩主・伊達宗紀の五男として誕生した。安政6年(1859年)に先代の島原藩主で妹婿の松平忠精が死去したため、その養子となって家督を継いだ。12月28日に従五位下・主殿頭に叙位・任官する。
万延元年(1860年)6月2日、脚気から衝心を引き起こしたのが原因で、江戸にて死去した。享年20。嗣子が無かったため、養子の忠愛(松平忠篤(深溝松平家13代・松平忠侯の弟)の長男)が跡を継いだ。
系譜
編集父母
養子