松平忠彊
松平 忠彊(まつだいら ただかつ)は、江戸時代中期の上野国小幡藩の世嗣。別名は乙五郎。
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 安永5年9月11日(1776年10月22日) |
死没 | 寛政10年2月12日(1798年3月28日) |
別名 | 乙五郎 |
藩 | 上野小幡藩世嗣 |
氏族 | 奥平松平家 |
父母 | 松平忠福、松平資訓養女 |
兄弟 |
忠房、高木正剛、忠彊、横瀬貞征、 津田信久正室、曲淵景露室、曲淵景露室 |
妻 | 内藤信凭娘 |
子 | 於謹姫 |
略歴
編集安永5年(1776年)、2代藩主・松平忠福の三男として誕生。
寛政元年(1789年)、同母兄・忠房が早世したため代わって嫡子となり11代将軍・徳川家斉に初御目見した。しかし、官位の叙任はされなかった。寛政10年(1798年)、家督を継ぐことなく早世した。
代わって甥・忠恵(忠房の長男)が嫡子となった。