松平 康敬(まつだいら やすたか)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本

 
松平 康敬
時代 江戸時代
生誕 寛永6年(1629年
死没 元禄13年6月11日1700年7月26日
改名 康教→康敬→鉄仙(法名)
別名 内記、杢助
墓所 天徳寺
幕府 江戸幕府旗本 西ノ丸書院番
主君 徳川家綱綱吉
氏族 松井松平家
父母 父:松平康重
兄弟 亀井政矩室、康政康映康命小笠原長次室、康紀西園寺公満室、牧野康成室、康敬、忠海、康久松平利綱室、竹中重義室、岡田元直室、貫名重用室、貝塚卜伴
養兄弟:松田勝政室(井上源吾の娘)、松井重政室(井上源吾の娘)
康郷渡辺敬渡辺滋岡田元府大村高豊
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経歴

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松平康重の五男として生まれる。慶安3年(1650年)9月3日に徳川家綱附属の家臣となり、将軍徳川家光にも初めて御目見する。その後西ノ丸書院番を経て、慶安4年(1651年)6月14日より本城勤務となり、承応元年(1652年)12月18日に廩米300俵を賜わる。元禄13年(1700年)6月11日、72歳で死去。

系譜

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参考文献

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