松平定章
日本の江戸時代中期の大名。伊予松山藩4代藩主松平定直四男で、松山新田藩初代藩主(1万石)。従五位下備中守。駿府加番を勤めた
松平 定章(まつだいら さだあきら)は、伊予松山新田藩の初代藩主。伊予松山藩第4代藩主松平定直の四男。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄13年2月22日(1700年4月11日) |
死没 | 延享4年8月3日(1747年9月7日) |
改名 | 長島辰之丞・源之助(幼名)→定章 |
別名 | 監物(通称) |
墓所 | 東京都港区三田の済海寺 |
官位 | 従五位下、備中守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 松山新田藩主 |
氏族 | 久松松平氏 |
父母 | 父:松平定直、母:村上氏 |
兄弟 | 定仲、鍋之助、定英、定章 |
妻 | 側室:放光院(松本氏) |
子 | 定静、定紀、富(水野忠寛正室→酒井忠雄正室)、好(松平定秀婚約者)、豊(溝口直寛正室) |
生涯
編集父から寵愛を受けていたため、享保5年(1720年)に父が死去して兄の定英が第5代藩主になると、父の遺言により新田1万石を分与されて松山新田藩を立藩した。
享保12年(1727年)6月に駿府加番に任じられる。享保の大飢饉では窮民の救済を行なった。延享4年(1747年)8月3日に死去した。享年48。跡を長男の定静が継いだ。