松平健雄
日本の明治時代前期~昭和時代中期の神職者。旧陸奥会津藩9代藩主松平容保次男で、伊佐須美神社5代宮司
松平 健雄(まつだいら たけお、1873年(明治6年)10月6日 - 1927年(昭和2年)7月19日)は、会津藩最後の9代目当主松平容保の次男で、伊佐須美神社宮司[1]。子に福島県知事を務めた松平勇雄がいる。
人物
編集松平容保の次男として生まれ、伊佐須美神社の5代目宮司となる。1896年、米国領事館の友人から譲り受けた苺の苗(エキセルシャ種)を手に入れ、宮司の車夫をしていた川島常吉に託す[2]。これがのちの石垣いちごとなった[3]。
出典
編集- ^ 「八重が学んだ精神」、『八重らんしょ 完全版』、2013年福島県発行、52頁。
- ^ 石垣いちご狩り(静岡市) 静岡・浜松・伊豆情報局、プレスマンユニオン、2019年3月5日閲覧。
- ^ 久能石垣いちごの歴史 静岡・久能苺狩り組合、2019年3月5日閲覧。
- ^ 松平健雄 小村大樹編集・監修、歴史が眠る多磨霊園、2019年3月5日閲覧。