松平信長
松平 信長(まつだいら のぶなが)は、戦国時代の武士。五井松平家3代。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 文亀3年(1503年) |
死没 | 天文20年6月18日(1551年7月21日) |
別名 | 弥九郎[1]、太郎左衛門[1] |
戒名 | 源意[1] |
墓所 | 愛知県蒲郡市五井の長泉寺 |
主君 | 松平広忠 |
氏族 | 五井松平家 |
父母 | 父:松平元心 |
子 | 忠次、信次 |
生涯
編集天文4年(1535年)に松平広忠が松平信定(桜井松平家)によって岡崎城を追われた際、信長は領地を捨てて広忠と伊勢国に逃れた[1]。天文6年(1537年)広忠が再び岡崎城主として復帰するまで忠勤に励んだ[1]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜』巻第二十七
- 『寛政重修諸家譜 第一輯』(国民図書、1922年) 国立国会図書館デジタルコレクション