松平信重 (旗本)

江戸時代前期から中期の旗本寄合、藤井松平家

松平 信重(まつだいら のぶしげ)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本寄合

 
松平信重
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永9年(1632年
死没 正徳4年11月11日1714年12月17日
別名 三之助(通称
官位 従五位下・志摩守
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家綱綱吉
氏族 藤井松平家
父母 父:松平忠国、母:戸田氏鉄
兄弟 信久信之信重忠栄
内藤義概正室、松浦鎮信正室、翠松院、酒井忠興室、本多忠将正室、
善法寺要清室、栄昌院
渡辺十右衛門の娘
信周、娘(保科正静妻)
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略歴

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播磨国明石藩主・藤井松平家嫡流の松平忠国の三男として誕生した。

万治2年(1659年)、父の死去により次兄・信之が家督を相続した際に5000石を分与される。延宝7年(1679年)、次兄が明石から大和国郡山へ転封されるとこれに随従し、大和では生駒に5000石を拝領した。貞享2年(1685年)、老中となった次兄が下総国古河へ転封されるが、信重は生駒に留まり、旗本として独立した。家督は子の信周が継いだ。

参考文献

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